数学教育とは第二の母語としての数学の習得を通して人間を育てることである.この立場に立てば,15歳から20歳の頃に学ぶべき初等数学の内容や,高校数学と大学数学の役割分担も,半世紀のうちにそんなに変わるものではない.
「初等数学」は普遍性をもつ.ところが,現代日本では,指導要録はたびたび改変され,教育内容も数年を経ずして入れ替わる.解析学は書き換えられ,複素平面や行列が現れたりなくなったりする.また体系性や定義・定理の相互関係などはまったく重視されていない.
この根底には人間を資源と見る人間観があり,数学を計算技術と見る数学観がある.これを批判し,第二の母語であり人間形成に不可欠な初等数学を再建する.それが次代に伝えるべき数学である.この視点が,数学にかかわるすべての者に求められているのではないだろうか.
私は,高い立場からみた初等数学こそ教育数学そのものであると考える.「数学教育とは,出来上がった数学(カリキュラム)をどう教えるかを問題にするものであり,教育数学は教育の諸々の諸相から実際に数学者がかかわることの出来る部分を取り出す営為である」([1])と定義されている.
教育数学はまず第一に,初等数学総体の基本部分として,数えることと量ることの体系,つまりは,整数の定義から測度論までを一貫した体系で基礎づけねばならない.これが教育数学の根幹である.さらにその前提として,記述の言葉としての集合論をどのようにとらえるのか,明確にしなければならない.
そこから枝葉を広げ,それらを小学生から大学初年級まで,どのように振り分け,役割分担して,伝えるのか.一貫した教育方法論を確立し,その上で教育課程を組み立てねばならない.教育数学に隣接する分野として,新たな人間観に裏づけられた教育方法論もまた今日の課題である.
教育の場で語られ,教授されることごとについて,教える者はそれらの言明の根拠を,まず自ら理解し,生徒や学生にその問いかけ,必要なら分かりやすくかつ厳格にそれを示すことができなければならない.また,数学の基本的な考え方や根底にある思想を把握し,それをかみ砕いて伝えることができなければならない.その中味を準備するのが,教育数学ではないだろうか.
そして,初等数学の全体系を意識的につかみ直すこと,これが高等教育における数学の規格でなければならない.小学校から高校までの数学を裏づけている数学理論,それがすなわち教育数学であるが,その習得そのものである.これが高等教育における数学の出発であり,大学初年級の数学の不可欠の内容である.
「わかる喜びの継承」は文化である.授業など人と人が出会う場でわかる喜びを次代に伝える,ここに数学教育の根幹があり,それを可能にするのが教育数学である.これが教育数学の重要な役割である.つまり教育数学とは,わかる喜びの継承を根幹とする数学教育において,それに携わる者自身がそれを研究することを通して自らわかる喜びを経験する場でもなければならない.
以上,教育数学とは,第一に,初等数学の全体像を明らかにし,その各分野を現代の数学として系統的に基礎づけるものであり,第二に.それを学び研究し,数学教育に携わるもの自身がわかる喜びを知る場である.
教育数学を通して教員としての基礎的な技倆を向上し,生徒に生きる力としての数学を身につけさせ,彼ら自身にわかったという経験をさせる.そのような数学を準備する協同の取り組みがはじまることを願っている.