南海 教科書の「確率」の章は,いろんな言葉(「試行」,「事象」,「根元事象」等々)の定義からはじまっている. それは中学での確率を整理しなおすことが趣旨であるが,多くの人はここをしっかりとは読んでいないか, 読み飛ばしている.
しかしここで書かれていることは,賭け事の仕組みなどを長い時間をかけて考えることで得られた, 確率的な現象を捉えるための考え方の枠組みだ. いちどじっくりと読んでみて,わからなければ先生に質問することを勧めたい.
さてこれらの言葉をここでも改めて定義しよう.数学AとCにある内容である.
試行
同じ条件で繰りかえすことができ,結果が定まるような行為.
例えば100円硬貨と10円硬貨を同時に投げるような行為のこと.その結果とは「100円硬貨が表・10円硬貨が表」 のように記述される. サイコロを1個投げる行為では,結果として1から6のうちのいずれかの目が定まるからこれも試行である.
何度も硬貨を投げる試行を繰りかえすと,統計的に,縁を下に硬貨が立って止まることはないことや, それぞれの硬貨の表がでる回数と裏がでる回数とは,だんだん等しくなっていくこと,等がわかる. このことから逆に,試行の結果は表か裏のいずれかになり, しかも表が上になるか裏が上になるかは同様に確からしいものとする,と確率を考える前提にする. サイコロでは均質に作ってあればどの目が出るのもほぼ同じ割合になる. どの目が出るのも同様に確からしいとする.
それではじめて数学の問題になる. 数学の問題としては,その試行で何が同様に確からしいのかが明記されなければ解けない. ただこの部分が常識に任されるときもあるので,その場合は現実にどうなるかを自分で考えなければならない.
標本空間
試行によって確定する結果全体の集合を「標本空間」という.
これは数学Cに出てくる概念であるが,数Aでも知っておく方が以下の定義が分かりやすい.
例えば上の100円硬貨と10円硬貨を投げる試行では,
「100円硬貨表・10円硬貨表」を簡単のために(表,表)のように表すことにすると,
集合
が標本空間である.
事象
試行から生じる結果によって定まる事柄.
事象は標本空間の部分集合として表される.
例えば100円硬貨と10円硬貨を投げる試行で, 100円硬貨が表であるという事象は,(表,表)という結果と(表,裏)という結果の集合である. つまり,100円硬貨が表であるという事象は集合 と表される.
事象は標本空間の部分集合,これをしっかりとおさえること.
根元事象
試行で確定する結果の1つだけによって表される事象.
つまりその事象に該当する結果の集合がただ1つの要素からなるもの.のようなもの.
それは言いかえると,その試行ではより小さい集合の和集合に分割できないような事象である.
試行の個々の結果と本質的に同じものであるが,試行の結果と事象とは異なる概念なので,
試行の結果を事象という観点から集合としてとらえたものが根元事象である.
2枚の硬貨を投げる試行で,硬貨の裏表に注目した結果は,それぞれの硬貨が裏か表かということである. これはこれ以上分けることができない.よって2枚の硬貨を投げて起こりうる結果は (表,表),(表,裏),(裏,表),(裏,裏)の4つあり,それらを要素とする4つの集合 が根元事象である.
それに対して100円硬貨が表であるという事象は, と2つの集合の和集合で表されたので,根元事象ではない.
全事象
標本空間自体によって定まる事象.
試行によって確定する結果全体の集合.
根元事象全体にわたる和集合なので全事象と言う.
全事象は「全ての結果」として定まる事象であって,「全ての事象」という意味ではない.
「全ての事象」は標本空間の全ての部分集合である.
空事象
空集合によって定まる事象.
何も起こらない,という事象である.
史織 根元事象はいずれも同様に確からしいのですか.
南海 そうではない.例えば将棋の王将の駒を考えよう.将棋の駒は7つの面をもっている. 駒を一つ将棋盤に投げたとき,いずれの面を将棋盤に付けているかで,7通りの結果がある. 「表がでる」,「裏がでる」,「横に立つ」2通り,「縦に立つ」,「逆さに立つ」2通り,である. これらがこの試行の結果である.この結果で定まる根元事象の確率は等しくない.
史織 なるほど.しかしそうすると,試行の結果にどのような確率が対応するかは, 数学の問題ではなくそれ以前の現実の問題だということになります.
南海 その通りなのだ.だから確率が難しいのだ.