next up previous 次: 歴史をつくる 上: 序言 前: 根のある思想

偽りの普遍性

その一方で、このような言葉を基とする固有性からの論考は、歴史の現段階が求めることでもある。

歴史の現段階、それは資本主義が終焉にむかいつつあるということである。拡大を旨とする資本主義が、もはや拡大の余地がなくなることによってゆきづまり、それが白日の下にさらされている。『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫著、集英社、2014)にあるように、資本主義とは中心部が周辺部を収奪しながら拡大するシステムそのものであり、拡大・成長は資本主義の存在条件である。ところが地球は有限である。もはや現実に拡大する余地はない。したがって、資本主義は終焉する。日本はその先端を行っている。

実体経済活動への投資では利益が出ないので、資本主義延命策として周辺部を国内に作り、そこから収奪するしかなくなっている。この方法は、結果としていわゆる格差を拡げ購買力を衰退させ、行きづまる。あるいは、アメリカのように金融空間を作り出し、金融空間で周辺部から金を集める。しかしこれは必ずバブルの崩壊を招く。さらにまた、欧州EUのように欧州帝国を作り出すことで生き延びようとしても、帝国の中の周辺部からの収奪を強めれば結局は収奪されたところにおいて危機が起こる。いずれも擬似的に拡大する場を作ろうとしてきたが、それらの方法はもはや限界に近づいている。そして、軍事分野以外に利潤を生み出すところがないのが現在である。

これまでの八百年、資本主義は偽りの普遍性をおもてに出して拡大してきた。かつてそれはキリスト教であった。宣教師の布教につづいて資本が進出していったことは歴史の事実である。そして、ロシア革命の前後からは、共産主義にはそれがないとしてうえでの自由と民主主義であった。これは今日まで続いている。近年は、人権侵害や民主主義弾圧を口実に、資本を投下する場を得ようと政権の転覆も視野に入れた「人権外交」策である。イラクの政権を倒し、その後にアメリカ資本がイラクのあらゆる分野に進出したことは知られている。

しかし今、その資本主義そのものが終焉に向かっている。それによって、そのような偽りの普遍性を掲げた資本主義の拡大そのものがゆきづまっている。西洋近代、とりわけその土台である産業革命は、根本的にギリシア後期のプラトン以来の考え方を最後まで進めることで達成された。それが近代であった。しかし今やそれは地球という有限な世界のなかで限界に至っている。

世界を「単一の世界」へと突き動かしてきた資本主義の力は、言葉に対してその固有の構造を失わせ表面的な水準での共通化へと突き進ませようとする。この資本主義のもつ力を自覚しこれに対抗するために、八〇〇年におよぶ経済を第一とする西洋の文明を相対化しなければならない。そのとき、まずなされねばならない基礎作業が、資本主義が塗りつぶし覆い隠した、それぞれの地域や文明の固有のものの見方考え方を、取り出すことである。

これが前提である。しかし、では次の時代の世はどのようなあり方であるのか、そしてそれをいかに生み出してゆくのか。これは未だに見えない。そのとき、それぞれの地についた根のある固有なものの見方、考え方を明らかにしてゆくことは、崩壊する資本主義のもたらす混乱と混迷からの活路を見出してゆくうえで、まずなされねばならない必要条件である。

これが歴史が求めていることであり、ここにまとめた三編は、そのための基礎作業の、私にできるところからの試みである。


AozoraGakuen
2017-06-08