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外発的近代

なぜこのような世となったのか。核炉崩壊以降のこの世のあり様は、日本近代に横たわる根本の問題が、資本主義の終焉という普遍的な条件の下で現れ出てきたのではないか。

非西洋にあって最初に近代資本主義の世となった日本は、そこに固有の課題を抱えている。西洋が帝国主義の段階になった中でその圧力のもと、急いで資本主義化した日本は、江戸の時代からの内的発展によって資本主義となったのではなく、そのゆえに、その文化は根なし草であり、底の浅いものであった。

では江戸時代はどうであったのか。江戸時代は藩校では、会読といわれる、たがいに相手の論の根拠を問い話し、あうことが教えられていた。このような教育の土台のうえに、幕末のいわゆる勤王の志士など、江戸幕府を批判し倒幕のために崛起する人々が生まれ出た。

そのことを知っている明治政府のものたちは、明治政府への人々の批判を封じ、政府に従順であるように人々を導くために、根拠を問うことを教えるということを、教育からなくした。

日本近代の教育は、根拠を問うことを教えなかった。言われたことをそのまま受け入れるようにしむけるものだった。「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる。「どうしてそんなことが言えるのか。根拠は何か」と問うことを教えない。

根拠を問うとは、すべてを疑い、現象を根本において捉えることである。さらにその根拠をも問い直す。この永続運動が科学である。従って、根拠を問うという土台のないところに、まことの科学は育たなかった。西洋の中に入り込み、そこを場としてかろうじて一定の近代科学は育ったが、それは根の浅いものであった。

その結果、日本の技術もまた、もの作りという与えられた枠組の中での手先の器用さはあったが、枠組そのものを生みだすことはなかった。教育の根本的欠陥の結果、枠組みを作ることができない。情報技術分野でも、世界規模での枠組は、日本では生まれなかった。

これは情報技術分野だけの問題ではない。思想においても政治においても経済においても、この日本に、そこで営みを続ける場としての枠組が生まれることはなかった。

その土台のうえに、あの敗戦を総括することなく、そのまま戦後政治に移行し、東電核惨事でもやはりそれまでのやり方を変えられなかった。いまなお原子力災害非常事態宣言中であるにもかかわらず、為政者はそれを隠して復興を言う。すべて、日本近代の基本的な構造的な欠陥の結果である。

このような日本近代の支配層は、長州は田布施の人、明治天皇たる大室寅之助、そして山縣有朋、岩崎弥太郎と続き、今日は安倍一族が連なる。彼らは、国家神道と教育勅語でもって同郷の明治天皇を表に立て、近代日本を牛耳ってきた。そして、二度の大敗北に導きながら、そのことを総括せず、人民もまたそれを許し、その成れの果てにいわゆるアベ政治に至ったのである。であるから、この近代を根底から問い直すことと、アベ政治を終わらせることは一体なのである。

外からの圧力による近代化のもと、植民地主義や帝国主義へに対する人民闘争もなく、今日の日本に至っている。このような所においては、資本主義の終焉期の疫病の蔓延などに対応することはできない。

東洋の島国日本は、資本主義に食い尽くされ、さらに核汚染にさらされ、人々は困窮してゆく。これは資本主義日本の世の衰退そのものであり、百五十年を経た今、このままではいわゆる失敗国家となってゆくことが避けがたい。



Aozora 2020-07-14