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■日本語が論理的になる 05/11/03

丸谷才一氏が十一月一日の朝日新聞『反時代的密語』で『モノノアハレ』と題する一文を書いている。

だが、日本語が論理的になるとはどのようなことを言うのだろうか。論理とは「ことわり」である。あるいは「ことわり」を「のべる」ことばの仕組み、ということでもある。これを明確に取り出す。そのための準備が『構造日本語定義集』の意図であった。

「論理学」は西洋語の「ことわりを述べることばの構造」を記述したものだ。論理ということばすら、日本語のうちからのものではない。その試行錯誤といろいろな試みがこれまでの青空学園そのものだった。数年を費やした。

しかしまだ、「ことわりを述べることばの構造」を明確に取り出すことはいまだにできていない。世界をどのようにつかむのか、について書くべきことの成熟があってはじめてその作業のうちで、ことばを構造に合致させながら、取り出すことができる。そのように考え今日まで来ている。しかし、書くべきことの成熟を待つ余裕はあるのか。それはわからぬ。いま一歩踏み出すべきときかも知れぬ。