玄関>転換期の論考
(一)
「6者協議、北朝鮮の核施設停止で合意 見返りに重油提供」これが今日のニュースである。考えてみれば、六者協議とは、米、中、ソ連を中心とする連合国の戦後体制、つまりはヤルタ・ポツダム体制そのものである。今回、日本政府は拉致問題未解決を理由にエネルギー支援を拒否、六者のなかで孤立している。これは実質的に「六者協議」から離脱したことを意味する。実際は昨年来、まったくカヤの外で、六者に加わっているのは形だけであった。日本政府のエネルギー支援拒否の行動は、彼らがこれまで言ってきたことからすれば、これ以外の選択肢はあり得ないものだったが、板挟みのなかでの選択だった。六者合意を批判するチェイニー副大統領らアメリカ国内の保守派と通じてなんとか孤立を回避しようとしているがチェイニー副大統領自体がブッシュ政権のなかでもはや孤立しており、うまくいかない。これからも身動きとれない状態が続く。
今回の六者協議合意は、昨年来続いてきた米朝二国間協議の結果であり、ブッシュやネオコンのいってきた「北朝鮮は悪の枢軸」という路線を転換するものである。では、誰が路線を転換させたのか。いうまでもなくアメリカの世界独占資本である。今や彼らもブッシュやネオコンの方向ではだめだと見限っているのだ。
戦後体制は、ヤルタ会議、ポツダム宣言で形成された。その後アメリカは反共に転じ、冷戦の時代、この体制は機能していなかった。そして、ソ連邦の崩壊、冷戦での勝利を受けて、アメリカは単独行動に走った。それが1990年の第一イラク戦争であり今回のイラク侵略であった。イラク戦争は、国際的な協調体制よりもアメリカ単独主義を重視するネオコンの主導ではじめられた。
だが、アメリカはイラクで手ひどい痛手を被った。泥沼である。単独主義はイラクで失敗した。このとき、帝国アメリカが立ちかえるところは、第2次世界大戦での勝利であり、その勝者連合体制たるヤルタ・ポツダム体制しかない。反ファシズム戦争を闘い、日本軍国主義やナチスファシズムを打ち破った事実こそ、戦後の帝国アメリカの正統性の根拠であった。
ソ連なきあとヤルタ・ポツダム体制はアメリカのものである。ここを拠点にイラク戦争でほころんだ世界支配を再構築しよう。この方向に転換しつつある。これが今起こっていることであり、ラムズフェルドの更迭、ボルトン元国連大使の罷免などはこの方向での路線転換のためであった。
昨年来、ヤルタ・ポツダム体制に回帰しようとする傾向は顕著であった。アメリカ下院では慰安婦決議が再提出されている。今年は南京虐殺から七〇年である。中国でもアメリカでもこれを主題とするさまざまの催し、映画制作がなされるだろう。昨年は、硫黄島の映画が話題であった。アメリカ映画はつねに政治的メッセージである。この映画は「アメリカはヤルタ・ポツダム体制に立ちかえる。日本はどうするのか」これを問いかけるものであった。しかしこのように読み取ったものは少ない。
さて安部政権である。安倍首相のいう『戦後レジーム』からの脱却とは、ヤルタ・ポツダム体制打破ということである。軍国主義を総括せず、そのことによって肯定し、憲法9条の改変しようとする基本路線は、まさにヤルタ・ポツダム体制の打破である。ネオコンはアメリカの反共主義を継承し、その点においてヤルタ・ポツダム体制を無視してきた。小泉、安部はこのネオコンの尻馬にのって戦後体制の見直しを推進してきた。教育基本法も改定した。
しかし、アメリカはイラク戦争で政治的には完全に敗北した。イラクのレジスタンスは強い。アメリカ独占資本は、ネオコンの路線では商売にならないことを悟った。そして、ヤルタ・ポツダム体制への回帰である。安部政権ははしごを外された。六者協議の合意と日本の孤立はその象徴である。
アメリカ政治は複雑である。追い詰められたチェイニー副大統領らが、イランとの戦争に踏み切る可能性はある。そのときはイスラエルを代理に立てるだろう。東アジアでの今回の合意は、二面戦争を避けるための準備という側面もある。しかし、たとえ彼らがイラン戦争をはじめても、それがイラク以上の大きな失敗、泥沼となることはまちがいない。
昭和天皇は、自らの存在が、ヤルタ・ポツダム体制の枠の内にいることで保障されるものであると心得ていた。だからA級戦犯合祀以降は靖国に参拝しなかった。中国やアメリカで商売する日本の独占資本も、本音はヤルタ・ポツダム体制の枠組み、第2次大戦の戦勝国との共存を望んでいる。
では、帝国アメリカが、最後の拠り所としてヤルタ・ポツダム体制に回帰しようとして、それは可能か。いや、決してうまくいかない。なぜなら、今のアメリカには、反ファシズムを詠うだけの民主主義的内実がもはや失われているからである。帝国アメリカの存在が、大域主義の資本主義体制なしにはありえず、国内的にも国際的にも、大域主義は現代版ファシズムなのだから。
私の、第二次世界大戦と日本国憲法に対する考えは、「日本国憲法第九条こそ日本人民がかちとった人民の自主憲法である」に書いた。戦後体制は、反ファシズム戦争の勝利の上に世界の人民がかちとったものである。私は、今こそ、反ファシズム、反軍国主義の人間原理を押し立てて進むときであると考える。
拉致問題について私は、2002年、旧青空学園掲示板に次のように書いた。これは今も変わらない。
拉致も強制連行も国家の犯罪 投稿者:北原真夏 投稿日:10月 5日(土)12時01分44秒
朝鮮民主祝儀人民共和国(以下「共和国」)による日本人拉致問題が連日報道されている.
共和国によってなされた拉致という犯罪に対する,家族の苦しみと怒りは大きい.真相は究明されねばならず,日本政府の責任も大きい.
同時に私は,家族の怒りや悲しみを見るにつけ,日本軍国主義がかつて行った「強制連行」がいかに殘酷なことであったのかを想起する.私もかつて強制連行で日本につれてこられた人の孫,在日三世の担任をしたことがあるが,祖父母は望郷の思いを果たすことなく異境の日本で死んだ.彼らの悲しみは人ごとでない.
拉致の悲慘から強制連行の悲慘を想起する,それが人間だ.
拉致も強制連行も二〇世紀になされた国家の犯罪だ.そしていずれの問題も国家間でさえまだ未解決だ.二〇世紀になされた国家の犯罪として事実の徹底した究明と,双方が帰郷と往来の自由を認めることが,最低限なされねばならない.それを求めるものである.
かつて、全面講和か単独講和かが争われた。自民党吉田内閣は単独講和した。その結果、いわゆる北朝鮮とは戦争状態が続き、それは今も変わらない。拉致問題が解決できない根元はここにある。私はアメリカ陣営と単独講和しでできた55年体制をもう一度作り直さなければならないと考えている。55年体制の打破し、9条の精神に立ちかえって、共和国との戦争状態を終わらせよ。それ以外に拉致問題の解決もない。
(二)
日朝二国間協議は何の成果もないままに終わる。もともと北側が、アメリカに配慮して日本との協議に応じたもので、日本政府に何の力もない以上、会ったという形式以上のことは出てこない。しかも、日本では安部首相の従軍慰安婦問題の見直し発言が出て、ヤルタポツダム体制に回帰しようとするアメリカと日本の間で、第二次世界大戦の評価をめぐって亀裂が深まり、安部政権が自己矛盾に陥りつつあることを見越しての、北の強硬姿勢であった。
あれだけ小泉も安部もアメリカに忠実に尽くしてきた。しかし、このままでは早晩アメリカとの矛盾も目立って大きくなる。アメリカで金儲けに忙しいトヨタなどの資本にとって、安部政権の反動性は無意味でじゃまなものになり、それが国内政治に跳ね返り、政権は岐路に立たされるだろう。
共同通信が次のように伝えている。
【ロサンゼルス7日共同】従軍慰安婦問題に関する安倍首相の発言について、米有力紙ロサンゼルス・タイムズは7日、「天皇陛下は自分の家族(昭和天皇)の名において行われた犯罪に対し一歩進んだ謝罪ができる」とする社説を掲載した。社説は、謝罪を求める米下院外交委員会の決議があっても謝罪しないと述べた安倍首相について、中国、韓国との関係改善を目指し就任したのに関係を台無しにした、と批判。
この論説には注目する必要がある。アメリカ中枢は、昭和天皇が、戦後のヤルタ・ポツダム体制を認め、そこに自らの存在根拠をおいていたことを知っている。だからこのような論説が出てくる。今後、アメリカからの安部政権への批判はますます強まる。
世界は大きく展開しつつあるのだ。
〜1945 ファシズム枢軸と民主主義連合の戦争と連合国の勝利
戦後変革とアメリカ反共主義への転換
〜1990 東西冷戦の時代
アジアアフリカの独立、文化大革命、ベトナム戦争と反戦運動
〜2007 アメリカ単独行動の時代
グローバル経済とそれへの反乱、中南米での社会主義運動、イスラム運動、アフガニスタン・イラクでのアメリカの敗北
帝国アメリカの衰退と、南米を先頭とする新しい息吹、それが現下の世界情勢だ。
アメリカは衰退を食い止めるために、ヤルタポツダム体制に回帰しようとしている。ヤルタポツダム体制とは、反ファシズム戦争勝利の後の戦後体制である。ここにしかアメリカが立ちかえる根拠はない。
しかし時代はずっと先に進んでいる。南米では新しい社会主義国家が誕生しつつある時代だ。新しい時代が開かれつつあるのだ。このとき、安部政権は戦前のファシズム・日本軍国主義に戻ろうとしている。時代を二つも前に戻そうとしている。ドイツもイタリアもファシズムの総括は大前提として、戦後歩んできた。軍国主義を総括せず、それによって肯定しているのは、日本だけだ。アジアで最初に資本主義をうち立てた明治日本は、今や世界で最も遅れた国になっている。
歴史とはそういうものだ。私は、日本は徹底的に世界から取り残されれば、つまりは、とことん腐らなければ、新しい芽は出ない、とも考えている。今はそれぞれが働く分野で、新しい芽を準備するときだ。
(三)
3月28日朝日新聞『安部政権の空気』の16回目に、東大教授の御厨貴氏の言葉が載っている。
自民党リベラルは、占領は結果オーライということだった。しかし、安部さんはそれがいけないと言い続ける。今自信を失っているアメリカにとって、日本占領は数少ない成功モデルなんです。それなのに、アメリカが肩入れした岸の孫が何でそんなことをいうのかと。
これは、私の意見を補完するものだ。これに続いて朝日の記事は次のように書く。
「従軍慰安婦」でアジアとギャップがあるだけでなく、「占領」というもう一つの歴史認識でアメリカとギャップを生めば、安部政権は孤独の道を歩むことになるかも知れない。
私は、アメリカがヤルタ・ポツダム体制に回帰することは避けがたく、安部政権が戦後体制の見直しを言うことも避けがたいと考えている。それは政治家個人の意識より深い歴史構造の問題だからだ。その結果、日本国は世界で必然的に孤立する。保守論客が「河野談話は破棄すべき」と声高に叫ぶのは信条の表明として自由である。しかし、アメリカは戦後体制に回帰する。これは必然である。河野談話の見直しはこの必然とぶつかる。彼らにそのことをおさえた上での、準備と覚悟があるだろうか。私の見るところ、日本の保守論客はおしなべて内弁慶で、アメリカとことをかまえる備えはまったくできていない。今の安倍内閣もまたしかりである。
長い歴史のなかで、今こそ、来し方をふり返り、行く末を考えるときだ。それは私自身の問題であるし、また、世に言う右派左派を越えた、こころある人間の問題だ。