玄関>転換期の論考

年金問題の本質 07/06/06〜07/11

(一)

   年金問題が大きな政治課題になっている。5000万件の不明とは、驚くべき数字である。基礎資料を電算化した80年代〜90年代の作業に、膨大な記入ミスがあったのだ。おそらく入力したデータと元資料を第三の目で照合するという基本が疎かになったのだ。自己請求性であるということを根拠に、「自分のがなければ言ってくるだろう」と考え、いい加減な作業が続けられたのだ。

   一体、日本の行政機関の実務組織は誰のためにあるのか。人民や国民のためのものではない。大企業や特権的な階級のものである、ということだ。膨大なミスがあることは、この十数年わかっていたのだ。それなのに黙っていた。バブル経済の時代に社会保険庁は多くの無駄な保養所などを作った。そして、高齢化社会をむかえて年金制度自体が破綻しかねないときに至っている。5000万件の不明が出れば、その原資はまるまる年金に繰り込める、上部はそのように考えていたのではないかと疑うほどである。人民のなけなしの積み立てであることなど、まったく気にしていない。

   自治労に属する社会保険庁の労働者も、80年代、電算化に反対するばかりで、自分たちの仕事が人民の年金を左右することなどに目がいかなかったのだ。電算化は時代の流れである。正確に資料を入力することが必要だった。仕事への誇りもなく、ただ仕事が増えたことに不平を言いながらやっつけ仕事を積み重ねたのだ。

   このような官僚機構の疲弊は今日にはじまったことではない。日本国の制度疲労そのものだ。根本的に作り直さなければならない。人民による人民のための人民の政治、これが人民にとって死活問題である。今回の事態の教訓だ。まず、奪われた年金を取りもどせ。そのうえで、国に頼らない自分たちの相互扶助を下から作っていかなければならない。

(二)

  年金制度は近代国家で軍人恩給としてはじまった。日本では明治8年、「陸軍武官傷痍扶助及ヒ死亡ノ者祭粢並ニ其家族扶助概則」にはじまる。その後公務員の年金、船員の年金と広がり、厚生年金保険は昭和19年に確立した。

  年金制度は戦争のためにはじめられた制度である。次の資料は、『ダカーポ』610号の「メディア時評」(斎藤貴男)に教えられた。財団法人厚生団編『厚生年金保険制度回顧録』(社会保険法規研究会、1988年)に掲載された、初代年金保険課長花澤武夫という人の一文である(『ダカーポ』同上からの孫引き)。

  (制度設計の参考にしたナチス・ドイツは)年金保険の金を利用してベルリンから八方に向けて戦時目的の自動車の高速道路、アウトバーンを作ったのですね。…ヒットラー・ユーゲントなどに金をやってスポーツを奨励する。これは将来の戦力になるわけです。

  落ち着いて、みんながまともに考えるようになってからこれを作ろうと思ったら、…要するに、戦争に勝つために必要な法律なのだということで、鵜呑みにさせられてしまったのでしょう。

  厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、…厚生省の連中がOBになった時の勤め口にも困らない。…年金を払うのは先のことだから、…将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。

  厚生年金保険制度は戦費調達の方法としてはじまったのだ。戦後、社会保険庁が保養所などの不急不要のハコモノを作りまくったのも、膨大な管理システムを電算企業や通信企業に払い続けたのも、頷ける。前にも書いたように、日本の行政機関の実務組織は大企業や特権的な階級のものである、ということだ。

  この歴史を明らかにしたうえで、年金制度のあり方、それは社会のあり方に及ぶ問題だが、これを一から考えなければならない。ところが安部内閣はこの機に国民総背番号制の導入を図っている。彼らにすれば、「こんな機会はまたとない。ここで国民統制の基本システムを作ろう」というわけである。斎藤貴男もいうように、安部内閣のやることは「放火魔の火事場泥棒」である。

  とにかく年金を取りもどすことだ。持ち主の分からない「宙に浮いた年金記録」5000万件、コンピューター未入力の厚生年金記録1430万件。彼らは該当者が死んでゆくのを待っているのではないか。選挙前なのでいろいろ対策を並べている。この処理は2年でできるものではない。こちらから動いて必ず年金を取りもどそう。

  斎藤貴男の一文にはその他にもいろいろ教えられた。それにしてもこの国の闇は深い。