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自民党大敗の本質 07/08/31

  先の参院選挙で自民党は「歴史的大敗」を喫した。ことの本質は何だろうか。結論からいえば、これは新自由主義の根本的な矛盾が引き起こした現象である、ということだ。大臣の失言や政治とカネの問題は社会が腐敗堕落した結果の産物であり、もう大臣の「身体検査」などの問題ではない。

  新自由主義とは何か。それは剥き出しの資本主義である。弱肉強食・拝金主義の市場主義、大域主義という名の地球規模での収奪体制、これである。

  産業革命を経て近代資本主義は登場した。それはまさに過酷な収奪と搾取であった。社会主義運動は必然的に燃えあがり、紆余曲折を経て、ついにロシア革命にいたる。人類史上最初の社会主義権力が樹立された。これに対して資本の側は、ケインズ主義といわれる修正資本主義を導入、資本の行動を規制し、一定の富の配分を国家の手で行い、人民の反抗が社会主義に向かいロシア革命が広がることを、おさえようとした。第二次大戦の後のいわゆる戦後復興もまた、基本的にはケインズ主義の範囲であった。

  ところがいわゆる社会主義が行きづまった80年代中期以降、資本主義はケインズ主義を投げ捨て、本来の資本の論理ですべてを推し進めようとした。サッチャー主義でありレーガン主義である。レーガンの時代アメリカはIMFなどを通して中南米の収奪を強化した。そして社会主義陣営が崩壊した90年以降、国際資本は何の遠慮もなく行動した。それが新自由主義である。

  日本では中曽根首相の戦後体制の見直しが、転換の宣言であった。バブルの崩壊を機に資本の側は剥き出しの体制を要求、小泉改革はそれに応えるものであった。それが規制緩和という名の新自由主義である。規制とは資本の横暴を規制することで、人民の反抗の芽をつもうというものであったが、資本の目先の利益とは矛盾するものであった。

  だが新自由主義は剥き出しの資本主義であるがゆえに、根本的な矛盾をかかえている。

  伝統的な農林漁業を破壊し収奪する。それは単に産業としての農林漁業の破壊ではなく、土地と風土に根ざした生活の破壊であり、人間が生きる意味の破壊である。

  貧富の格差の絶望的なまでの広がりである。現代資本主義は、都市に下層貧民を産業予備軍として蓄えておかなければ、利潤を上げることはできない。富める少数者はますます富み、貧しい多数者はますます貧しくなる。

  世界の均質化と固有性の破壊である。大域主義は世界を均質化する。小泉は靖国に参り、安部は美しい国をいう。しかしそれ自体が新自由主義との矛盾である。大規模小売店が、それぞれの土地の固有の商いをつぶしていく。

  一方、人類は近代に入って、人間の価値、天賦の人権のために多くの犠牲を伴いながら闘ってきた。その結果、普通選挙も実現している。富が少数者に集中する一方の普通選挙。これが自民大敗を引き起こした。

  資本主義は法則として絶対的貧困化と相対的な貧困を引き起こす。そしてその結果、購買力は低下し過剰生産に陥り、資本主義は恐慌する。かつては植民地支配を拡げ市場を拡大することでこの矛盾を覆い隠してきた。しかし、大域主義という地球規模での資本主義にもはや拡げうる市場はない。資本はのたうちまわり、あがきをくりかえす。バブル経済でごまかし、ごまかしてきたのがアメリカ経済であり、それにまとわりついてもうけてきたのが、日本の大独占資本であった。しかしこの夏、アメリカの住宅産業のバブル崩壊と株価の下落は、もはやこの方向も行き詰まりつつあることを示している。

  新自由主義に対する人民の闘いは、南米で顕著である。それはそれだけ彼の地が新自由主義の激しい収奪にさらされ、闘わねば生き得ないところに追い込まれたからであり、そこからの怒りが反米政権をつぎつぎと生みだしてきた。もちろんそこでは今も帝国アメリカやその代理人によるアメと鞭の激しい闘いが続いている。

  帝国主義はついには戦争で崩壊する。それがイラク戦争である。帝国アメリカが泥沼に陥り世界はもはやアメリカの原理では動かない。ドルの力は凋落し、新しい形の恐慌が世界を覆っている。帝国アメリカが戦争を通じて崩壊する時代、それが現代である。

  さらに深い問題がある。国家という方法の行き詰まりである。国家は人類が生みだしてきた社会編成の一つの方法である。生産関係を組織し維持する方法である。この方法自体が行き詰まっている。歴史が国家とは何かを問いかけ、国家像の根本的転換を迫っている。

国家を問うことなく現実の問題に向かえば、行き着く先はファシズムかまたは保守政党の政権たらい回しである。民主党の「躍進」は、いいかえれば国家主義的保守主義が議会の9割方を占めたということである。これでもだめなら次はファシズム。アメリカはまだファシズムの経験がないだけにその危険性が大きい。

  国家という存在が、土地や仕事や隣人を慈しむ心を国家への愛にすり替え産業と戦争に人民を駆り立ててきた。国家という機構が戦争や対立や抗争を生み出した。人類史における国家は、古代奴隷制から封建制へ。そして資本主義へ。それが現代では独占と帝国主義国家へと上りつめた。こうして国家は頂点に達し、らん熟した。しかし資本自身が脱国家である。資本自身が国家を超え、世界規模の矛盾に陥る。結果、国家自体はますます腐敗し、その機能を失いつつある。

  このとき、今を生きるわれわれがなすべきことは何か。何を後の世代に残し伝えるのか。経済と国家は方法であって目的ではない。これをはっきりとおさえよう。国がどうあれまずわれわれの生活と人生だ。働き人の人間性と心、これが第一であり、人間の価値は力をあわせた生産の場にしかないことを明確にしよう。このような協働性をなし得るところから拡げよう。考えよう。現実を批判する力を育てよう。肝心なことを見ぬく力を育てよう。

  新しい時代を準備しよう。これまで固有性を握ってきたのは資本の側である。これからはわれわれが固有性を握らなければならない。根のある変革思想、これは歴史の要求である。