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■あの戦争はまだ総括されていない 09/08/19

魂鎮への道−BC級戦犯が問い続ける戦争』(飯田進著、岩波現代文庫、2009)を読む。最初は1997年に発刊され、今回文庫に収録されたのである。これは歴史を主体的に記述したという意味で本当の歴史書である。

飯田進さん(86)は第二次世界大戦での日本軍のニューギニア戦線で地獄の苦しみを昧わった。その内容はここに書けるものではない。本書を読んでほしい。彼は住民らを殺害した罪で、BC級戦犯として重労働20年の判決を受けた。その後東西冷戦の時代に入り巣鴨から解放された。飯田さんの戦後の人生は、下記の映画などを見てほしい。関西でも公開されることを望む。

彼は日本の戦後に違和感をもって生きてきた。今年も八月十五日の追悼集会では「兵士たちの尊い犠牲の上に今日の経済的繁栄がある」といわれた。私の故郷の地方新聞『洛南タイムス』でも「平和の礎を築いてきた英霊」といわれている。飯田さんは言う。「飢えと病気の苦しみの中で死んでいった兵士を悼む気持ちはわかる。私だって特攻隊員の手紙を読めば号泣する。しかし、理性的に考えれば戦後の繁栄と兵士の死はまったく関係ない。」彼らの死によって戦後の「平和」があるというのは、事実ではない。現代日本のありようからいえば、その死がまったく教訓化されていないという意味で、日本軍の戦死者はまったく無駄死にだった。本当に死者を追悼しその死を無駄にしない道はただ一つ。あの戦争に向きあい、あの戦争を遂行したものの責任を暴き、責任をとらせ、人間としての道理をうち立てることでしかない。これが飯田さんの経験に裏づけられた主張である。飯田さんは、無謀な作戦計画を作った大本営参謀の責任だけではなく、昭和天皇の責任も問う。昭和天皇が終生その責任を明らかにしなかった結果、「戦争を指導した連中は、昭和天皇が責任を追及されないなら、おれたちだって免責だと考えてしまった。日本の倫理的な腐敗がそこから始まったと思う」という。

先日「日本のわれわれもまた1945年8月、軍国主義から解放されたのだが、やはり勝った側と敗れた側では立場と感覚が異なる。…。われわれの場合はまだその歴史をしっかり締めくくったとはいえない。」と書いたが、実際、あの戦争はまだ総括されていない。今回の衆議院選挙では、実はこの戦争と戦後をどのようにとらえるのかが、問われている。各政党にも問われている。有権者にも問われている。若い人にも問われている。

2009年岩波文庫への収録にあたって飯田さんは次のように書いている。

いま私にできることは、若い人に飯田さんとこの本のことを使えることである。これを読んだ人はぜひ本書を読んでほしい。

なぜ昭和天皇の戦争責任は追及されなかったのか。飯田さんも言うように、戦後急速に冷戦の時代になり、アメリカは天皇を免罪して日本統治に活用する方を選んだ。国内的にもそれを歓迎する旧日本軍国主義の流れをくむ勢力が少なからず存在した。その勢力が、一貫して「戦後憲法は押しつけられた。自主憲法を!」と主張してきた。戦争責任を追及するものは少数派であった。

1945年8月15日、日本の人々は日本軍国主義から解放されたのである。これを解放ととらえることができたものが少数派であった。多くは、解放の喜びではなく敗北の悲しみをもった。飯田さん自身はニューギニアの獄のなかで軍国主義思想から自身を解放した。多くの日本人は軍国主義思想を受け入れていた。内因論に立って戦争責任を問い、そのことを通して人間の道理を現実のもにしていく。このことは今もって開かれた課題である。

しかし、それにしても歴史は厳格である。歴史に向きあわず逃げ切ることなどできない。昭和天皇の倫理的な堕落は、孫の代になってそのしわ寄せがすべて出てきている。これは避けられない。天皇家の妃はいずれもよく笑う。かつての天皇家の女にはなかったことだ。しかしあれは心にもない国民への愛想笑いでしかない。昭和天皇が歴史に向きあわず倫理的に堕落した以上、彼女らは愛想笑いをする他ないではないか。しかし皇太子妃は知性があるだけにこのような愛想笑いには耐え難かった。自分は何をしているのか、心にもない笑いをなぜしなければならないのかという押さえがたい衝動が内から起こってきたものと思われる。それが彼女の精神的苦悩の本質だ。根因は昭和天皇にある。彼らもまたこのような苦悩からは解放されねばならない。

『週刊金曜日』の一文で辺見庸さんが天皇問題に関して次のようにいうのは賛成である。

その通りなのである。 それこそが本当の愛国である。愛郷である。そのためには飯田さんのいうように、責任をとるべきものにとらせなければならない。