亀井金融大臣の発言が波紋を広げている。朝日ニュース:親族間の殺人、亀井金融相「大企業に責任」 発言が波紋。
亀井大臣の発言は以下の通り。
(大企業は)従業員を正社員からパートや派遣労働に切り替え、安く使えればいいということをやってきた。人間を、自分たちが利益を得るための道具としか考えないような風潮があり、社会の風潮もそうなる。人間関係がばらばらになり、家族という助け合いの核も崩壊していっちゃう。改革と称する極端な市場原理、市場主義が始まって以来、家族の崩壊、家族間の殺し合いが増えてきた。そういう風潮をつくったという意味で、(経団連に)責任があると言った(10月6日、閣議後の記者会見で)
この意見を皆さんはどのように考えるか。私は正しいと思う。亀井大臣が講演で「ため込んだ内部留保をそのままにしといて、リストラをやっている。人間を人間扱いしないで、自分たちが利益を得る道具として扱っている」と指摘したのも正しい。
臨時雇用などの非正規雇用が現業職にまで広がったのはどこにはじまるのか。それは、1995年、当時の日経連(後に経団連になった)が『新時代の日本的経営』を発表。長期的な戦略方針を打ち出した。その中で労働者を、長期蓄積能力型と高度専門能力活用型と雇用柔軟型の3グループに分け、非正規雇用を多数とする労働者の階層化を提言したのである。ここにはじまるのだ。この提言は働くものを区分けし、しかもそこに経営の側からの価値観を持ちこんだ。人間を差別し階層化する思想である。これが今日のギスギスした世の中を生みだしたのである。だから、亀井大臣の発言は至極真っ当なのだ。この点に関して大臣の発言を支持したい。
この経団連の提言は、このように「非正規雇用を多数とする労働者の階層化」をおこなえば、それが逆に企業の首を絞めることまで考えていない。つまり働いても生活できない層は必然的に購買力が落ちる。内需拡大といいながら実際にしていることは国内の購買力の衰退であった。日本企業はそれをアメリカや中国のバブル経済への輸出で補い、あるいはそちらが中心となり、この間大もうけしてきたのだ。それがゆきづまった。企業は利益をもっと労働者に還元しなければ購買力は生まれない。政治の力で強制的に利益を全体に再配分するシステムを作らなければ持続できない。そしてこれは地球規模でも言えることだ。過半の人間が飢えと貧困苦しむ中では、必ず生産過剰に陥る。かつては植民地を広げてきたのだがそれもできず、金融技術でごまかしてきたのがこの20年来の世界経済だが、それも崩壊した。経済は手段なのか目的なのか。私は人間が人間的に生きてゆくための手段であると思う。ところがこの間金儲けが目的になってきた。このあたりの基本から考えないといけないようだ。