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■天皇の政治利用?  09/12/15

天皇と習近平中国国家副主席との会見が設定されたことに羽毛田信吾宮内庁長官が不快感を示したことについていろいろ議論が起きている。それを「特例的」だというのは宮内庁の言い分だが、いずれにしても天皇という制度について議論が起きること自体はいいことだ。しかし、当の客が来ている時にその招待の仕方をめぐって賛成だ反対だの議論をするか、と思う。それは客が帰ってから後ですべきことなのだ。自民党も先日来、国会議員等から小沢批判の発言がくりかえされている。しかし習近平が来ているときにそんなことがいえるのは、自民党のどこかに中国をあえて軽視しようとするものがあるのだろう。客には不快な思いをさせないというのは常識だ。今の自民党にはそれもない。

私は天皇の存在はそれ自体政治であると考えている。天皇は一貫して政治の中にいた。戦前、日本の軍国主義は天皇を担いで侵略戦争をすすめた。最近では小泉元首相が天皇の権威を利用した。かれは規制緩和とかいいつつアメリカのいいなりに日本の金融資産をアメリカに売り渡そうとする郵政改革を推し進めた。小泉元首相は自分の売国政策を覆い隠し「愛国者」に見せるために毎年靖国神社に参拝した。天皇の権威を利用したのである。政治利用というならまさに政治利用である。

今回の問題は国家が客をもてなす方法であって従来と何ら変わらない。むしろこれを取りあげて小沢批判の材料にしようという自民党や宮内庁長官こそが天皇を政治的に利用している。新党大地の鈴木宗男代表からの宮内庁批判も出てきている。まず客に対して失礼だというべきだが、これも一つの意見である。確かに宮内庁長官は天皇の庇護者のように振る舞い、そのことで天皇を政治利用している。

民主党は宮内庁や外務省官僚の反対をおしきって天皇と習近平の会談を実現させた。当たり前のことをしただけであるが、中国に貸しをつくったことは大きい。東アジア共同体の流れがいっそう強まるだろう。そうなるといよいよアメリカ軍の抑止力としての存在が無意味になる。抑止力という考え方は中国とロシア、その陣営の一部としての北朝鮮に対するものであり、冷戦時代の産物だ。東アジア共同体に向かうとき、なぜ米軍がいる必要があるのか、となる。沖縄の米軍はもう必要ないのだ。そして沖縄の将来は東アジアの交易拠点としての繁栄だ。この流れが現実のものになりつつある。

さて、若い皆さん。これらをどのように考えるだろうか。すべて日本の将来のあり方に関わることなのだから、自分で考え自分の意見をもっていってほしい。