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■『うちなあぐち賛歌』を読む 10/02/23

昨日本屋で『うちなあぐち賛歌』(比嘉清著、三元社)を買って一気に読んだ。といっても本文は「うちなあぐち(沖縄語)」で書かれたもので、その日本語訳を読み通し、ときどき本文と比べただけなのだが。ちなみに沖縄語で「くち(口)」は「言葉」の意味ももつ。筆者は私と同年代の人で、「うちなあぐち」は日本語と祖語を同じくするが日本語とは別の言葉であり、琉球人は日本という国のなかの小数民族だというるという立場である。これにはまったく同感する。比嘉さんの出版社:南謡出版のページ。その中の「うちなあぐち賛歌」。

沖縄語は日本語の方言ではない。日本語と対等な独立の言葉である。その立場から、沖縄語を書き言葉として育てていこうとする筆者のさまざまの工夫と苦労が縷々書かれている。それ自体が書き言葉の実践だ。「うちなあぐち」を日本語の一方言ととらえる考え方は沖縄の内にもある。とくに書き言葉を育てるということに関しては本書で紹介されている「哲学書の一頁、琉球方言で翻訳ができるか」(『琉球語の美しさ』での仲宗根成善氏の言葉)という意見に代表されるように、難しいという意見が根強い。比嘉さんはこれに対して、書き言葉をもたなければ言葉は衰退する、日本語と同様に必要なら漢字造語を組み込んでゆけばよい、という立場である。私は「うちなあぐちで翻訳ができる」と考えるが、それにはしかし、その言葉を母語とする人がうちなあぐちの世界を広げ深めることがなければならない。そしてまた同じ問題を近代日本語もかかえてるのだということを強調したい。

玄関の言葉にも加えたように、近代の漢字造語はものとことのはたらきを抑えつけた。思うのはものであり、考えるのはことである。しかし、明治近代は「思考」によってこれを塗り隠した。そもそもものとことは一つにできないのに、「事物」である。こうしてものとことを人びとから隠した。近代日本語の詞は日本語のことわりをふまえることなく、西洋文明受容のためにつくられた。つくられた詞は固有の言葉に根拠をもたず、詞はつぎつぎに捨てられまたつくられてきた。結果、人間が大地にしっかり立って生きること難く、言葉が人間を動かす力もまた弱い。人は互いに孤立し、結びつきは断ちきられつづけてきた。日本語も、沖縄語も、それぞれの言葉のしくみのなかから漢字造語の裏付けをしなければやはり言葉が本当に育つことはない。近代日本語の教訓である。

さて、昨年の二月、ユネスコは日本では八つの言葉が消滅の危機に瀕していると発表した。アイヌ語が「きわめて深刻」、八重山語、与那国語が「重大な危険」、沖縄語、国頭(くにがみ)語、宮古語、鹿児島県・奄美諸島の奄美語、東京都・八丈島などの八丈語が「危険」と分類された。日本政府の立場は、アイヌ民族とアイヌ語のみを独自の民族と言葉と認定し、他の言葉は日本語の方言だとしている。しかしこれは正しくない。

今日、台湾島では政権が公認する少数民族だけでも十四存在している。それに対し、日本政府が国際人権規約に基づく国際連合への報告書に同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである。ヤマト政権以来千年以上にわたって時の政権の同化政策がそれだけ厳しかったということなのである。しかし実際には日本列島にも、日本語を母語とするものの他に、朝鮮語や中国語を母語とするもの、そして沖縄語やアイヌ語、南島や奄美、八丈島の言葉を母語とするもの、もちろん英語やフランス語を母語とするものがそれぞれに暮らしているのだ。その人々が民族を主張すればそれを互いに尊重する。

琉球人が一つの少数民族であるなら、基地問題も別の様相を示す。つまり、日本民族の歴代日本政府は、アメリカ軍の基地を少数民族の島に押しつけてきた、ということである。基地を県外にという主張は、基地を琉球民族だけに押しつけるなということをも含んでいる。昨年民主党政権ができ多くの民主党議員が沖縄からも出た。それは、民主党は県外移転を公約したからだ。そこに日本民族も負担するという公約を読み取ったからだ。ところが現在政府内では名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上案が出ている。これは嘉手納基地の騒音をこちらに移すだけだ。現地はもちろん反対している。

田中宇氏の評論にもあり、またそこで紹介されている宜野湾市の「普天間基地のグァム移転の可能性について」が一次資料だが、同じ内容が2月20日の朝日新聞にに次のリードで出ていた。

アメリカはヘリ部隊をグアムへ移すのだ。普天間の代替など必要ないのである。この問題を表にしないかぎり問題は一歩もすすまない。もし民主党政府が防衛省や外務省の意のままに、シュワブ陸上案を政府の案とすれば、そのときふたたび裏切られたという沖縄の民族的な怒りが、民主党政府など吹き飛ばす。しかし考えれば、難しくも面白い転換の時代である。