今朝の朝刊に「朝鮮学校に兵庫県が独自助成 井戸知事会見」と出ていた。知事は会見で「拉致問題の解決と引き替えにするような事柄ではない」と明確に述べた。当然のこととはいえ、態度を明確にしたことはよかった。
このような知事の態度を支えているのは、やはり長い兵庫の教育の歴史だろう。私は、1973年に高校教員になった。1968年から1975年にかけて阪神間では受験体制のなかでは底辺に位置する定時制高校、工業高校をはじめいくつかの普通高校でも高校生が自分の教育を受ける権利を求めて闘っていた。私も遅ればせながらその渦中に行ったのだ。仕事のかたわら兵庫県での教育運動の歴史をいろいろ勉強した。
この1970年前後の教育運動の前史として戦後間もなく燃えあがった阪神教育事件といわれる民族教育を求めた闘いや、地域ぐるみで取り組まれた勤評闘争があった。
その歴史のうえにたって、学校の差別体質を批判し、学力の保障を求める運動があちこちで闘われ、そういう高校生の闘いや地域の教育闘争と一体となった教育運動もまたあの当時高揚していた。私はその過程で実現していた教員定員の増加枠(同和加配)で教員になったのだった。
もう一つ、知事の判断を支えるのが、阪神大震災の記憶である。日本人や朝鮮人やいろんな民族の違いはは地震の前には関係なかった。人間として助けあうしかなかった。あのときそれができたのも、差別に反対するということがこの地に根づいていたからだ。高校無償化が、日本に生きる高校世代のの教育権の保障を目的とするのであれば、まさに知事のいうように「拉致問題の解決と引き替えにするような事柄ではない」のである。