玄関>転換期の論考

■歴史の教訓三件 10/05/29

■目前の利害ではなく原則を守れ。

昨日社民党福島党首罷免。政治家にとっては、目先の利害よりも原則を守りとおすことが、肝心である。この点で福島党首は立派であった。罷免後の会見で彼女は『この問題には三つの大義がある。「もう基地を造るな」と異議を申し立てている沖縄の人たちとの連帯。二つ目は国民と政府との信頼関係。(首相が)「最低でも県外」という約束をほごにするなら政府と国民との信頼は破壊される。三つ目は日米関係。地元の賛成なく反対の中で強行することは日米関係も破壊する。』と述べていたが、これはその通り。参院選での民主党単独過半数は難しくなり、小党の合従連衡がいろいろなされる。今から筋を通しそのとき主導権を握るべきだ。

歴史の求めるところを実行する政権は持続し、そうしなければ衰退する。今歴史が日本の政権に求めていることは、世界が不可避に多極化してゆくなかで、アメリカ後の日本のあり方を形づくっていくことである。民主党はそれに応える公約を掲げたからこそ政権についたのであるが、結局はアメリカ、とりわけ新しい基地を建設したいアメリカ産軍複合体と、これまでどおりそれに従属し続けたい外務官僚や防衛官僚に推しきられ、何もできなかった。しかし普天間問題での日米合意と言うが、これは冷静に考えればこの先落とせないと分かっている手形を切るようなものである。ほとんど手形詐欺である。私は昔会社経営のまねごとをしていたので、資金繰りが苦しくなると先のことを考えずに手形を切る心理が分かるが、今回はまさにそうだった。これでは福島党首の言うように、かえって「日米関係も破壊する」。

歴史は、目前の利害ではなく原則を守ったものによって切り開かれる。歴史は曲がりくねっているが一段一段、必ず到達すべき段階に到達する。

■「『沖縄の海兵隊はグアムへ行く』を読む」(10/04/16) で紹介した、アン・ライトの一文

に対して、2010/04/17 09:05付けで次のようなコメントが寄せられた。

おかしいな? グァムの政府観光局のHPでは、チャモロ人の住居の自由は保証され、住みたい場所に住むことができたと書いてあるが。あなたの主張の根拠は何ですか。日本軍を貶めるためなら、嘘を言ってもかまわないのですか?

この発言は三つの点で歴史が見えていない。

第一に、事実として占領期のグアムで島民への犯罪で戦犯となった日本兵がいるという事実である。『薫のハムニダ日記』(http://hamnidak.exblog.jp/6167961/)にもあるように、これは文書の残る歴史事実である。

第二に、アメリカ軍は日本敗戦後ふたたびグアムに戻ってくるのであるが、現地チャモロ人のことは眼中になかった。日本占領中の日本軍の戦争犯罪について、白人女性へのものは取りあげたが、戦後アメリカはまともにチャモロ人の戦争被害については調査もしなかった。これは推測であるが、沖縄占領中のアメリカ軍の振る舞いをみれば、そこから帰結する。

第三に、グアムは政治的権利を奪われたまま、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域」としてアメリカの支配下にあり、政府観光もアメリカのもとにある。アメリカが調査もしなかったことをそのままにする以上、観光局の言い方になるのは当然である。徹底した白人のアジア原住民蔑視の上に、観光局の言葉がある。

これに対して、アン・ライトの報告は実際にグアムにおいて、多くの調査を踏まえたものなのである。できうるならば、現地に出かけ人々の声に耳を傾けることである。信頼を得なければ本音は聞けないが。いずれにしても調査なくして発言なし。

情報を握りそれを隠したり捏造したりできる側と、われわれは逆の側にいる。われわれにできることは、公にされる情報の矛盾を突くこと、そこから歴史の趨勢を考えることである。沖縄返還時の核持ち込み密約についても、1980年代からあるにちがいないと考えられてきた。しかし、それが公になるまでさらに四半世紀を要した。権力は都合の悪いことは隠し、改ざんし、破棄する。

■「小沢民主党代表の秘書逮捕問題」(09/03/06)に関して次のようなコメントがあった。

やはりこの問題は言われるように当時の自民党による国策捜査であったようです.2010年5月18日に小沢氏の友人の平野貞夫氏が朝日ニュースター(CS放送)「ニュースの深層」に突然登場し,次のことを話しました.「小沢氏の秘書逮捕は森英介法相の指揮権発動だった!平野貞夫氏爆弾告発」この平野発言にメディアは無視を続けていますが,ことの真相はこれいがいにありません.

やはりそうなのである。沖縄返還時の核持ち込み密約問題は35年たって表に出た。昔から分っていることでもこれだけの時間が必要だった。それに対して小沢秘書逮捕問題ではわずか1年半しか隠せなかった。いかに検察や官僚機構が制度疲労をを起こしているかということある。