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■ 小沢氏の決断を支持する 10/08/26

今朝、民主党の小沢氏が党首選に出ると報じられた。その決断を支持する。これは勝ち負けの問題ではない。官僚に取り込まれた菅内閣に対して民主党の初心に立ちかえるということであり、まさに筋を通すという問題なのだ。こういうときは中央突破しかないし、それがまた道をきりひらく。「座して死を待つより、立って闘え」は政治家の基本だ。

日本でも、韓国でも、これまでの覇権国であったアメリカに今後とも従属していこうという勢力と、いやそこから自立し多極化の時代における新しい国家のあり方を生みだそうという勢力のせめぎ合いである。当分それは続く。民主党の内部抗争もその一環である。

高校のとき、いちばんの友人は同じ大学の同じ学部に進んだが、その後中退し、長く社会運動に携わっている。その生き方を尊重するし今も尊敬している。われわれの世代もそれなりに生き方を模索してきた。68年の衝撃は今も現実である。ささやかでも筋を通し原則を曲げないで生きてきたものと、現実に妥協しズブズブの政治屋になったものとその違いがはっきりと出てきている。

菅首相も仙谷官房長官もまさにそういう世代なのだが、既成の存在に妥協を重ね、現実を動かすよりもそれに流されているように見える。「新左(新左翼)崩れはどうしようもない」はこれまでもいわれてきたことだが、彼らは変に政治を知って、しかし理念がなく、現実に妥協することを政治と勘違いする。私が言っても、そんな簡単ではない、という声も聞こえそうだが、やはり人間、筋は通さなければならない。

ところで日本の左派は、おしなべて今回の民主党の内部抗争に冷ややかである。どちらもどちらだ、ということだ。小沢や鳩山の「東アジア共同体構想」であれ、アメリカがすすめようとする環太平洋自由貿易地域であれ、それは新たな支配と従属の関係が国境を越えて拡大されるということでしかない、というわけだ。二大政党制というが、それは資本主義を擁護する体制でしかない、というわけだ。従って、日本の左派はこのような問題に能動的には関わらないし、その影響下にある大衆運動もまた然りなのである。しかしここには左派の役割に関する根本的な誤りがあり、このゆえに日本の左派運動は歴史のなかで役割を果たすことができない。

世界史の現段階はどのような力で動いているのか。アメリカ帝国主義は衰退過程に入り、そのことが明確になりながら、それだけに最後のあがき的な動きを強めている。軍事力を背景に世界中の金融資産をかき集めてきた。そうしなければもはやアメリカ経済は一日も立ちゆかない。その一方で、南米の左派民族主義政権,中国・インド等新しい大国家群,また日本や韓国やその他の従来アメリカの陣営にあった国々の中でも,対米従属を立ちきろうとする勢力が、資本の中でも、民族主義の中でも、人民運動の中でも、大きくなりつつある。それが今回の民主党内部抗争に反映している。これが歴史の現段階なのだ。

歴史は必要な過程を踏む。現実を思想で越えてしまうことはできない。であるならば、この歴史のうねりの先頭に立ち、進むべき歴史を一歩進めることこそ、左派の役割なのである。歴史の現段階の問題について見解を述べ、なし得る行動をとることは、左派にこそ必要なのだ。いつこのことを理解する左派が歴史に登場するのか。それはないのか。左派の役割が問われている。世界史の趨勢は多極化した世界とその下での共生しかない。道は曲がりくねっているが必ずそこに到達する。