孔子の「孔叢子‐刑論」に「罪を憎んでその人を憎まず」という言葉がある。日本では「罪を憎んで人を憎まず」として、この世の中の一つの規範としてながく用いられてきた。
「罪を憎む」とは何の意か。その犯罪がなぜ起こったのかという理由を、決して個人の問題にせず犯罪を犯したその人の棲む世の中のあり方の問題として考えよ、ということである。そのような罪を生みだすこの社会に原因があるのではないか、と考えようということである。
「人を憎まず」とは何の意か。同じこの世に住む者として、われわれもまたいつ同じ過ちを犯すかも知れない。その自覚の上に、罪を犯した者に更正の機会を与える、ということである。罪を犯した者もまたなにがしかは犠牲者である。
ところがこの間の日本社会は、とりわけ裁判員制度が動きはじめてから、「人を憎んで罪を憎まず」の方向に動かされている。これは為政者が、犯罪を生みだす根源としての社会の腐敗から目をそらせ、為政者へ批判が向くことのないように、個人にすべての責任を負わせようとすることであり、為政者が意図をもって為していることである。
この流れに反対する。「罪を憎んで人を憎まず」の考え方を世の規範として甦らせ、そのもとに死刑制度を廃止する。これがわれわれの進むべき方向である。