戦後日本の枠組みを決めてきた二つの仮説がある。
第一は、原子力発電所は安全であり、原発をいくつ作っても大丈夫だ。
第二は、ドルは安泰であり、アメリカ国債を買い増しても大丈夫だ。
為政者は、これを、仮説ではなく真実であるかのように、マスコミやあらゆる手立てを使って宣伝してきた。それが戦後の自民党政府だった。今や、第1の仮説が虚構であったことは事実で以て暴かれている。原発災害はまだ始まったばかりだと考えざるを得ないほどの大きな犠牲と苦しみの最中である。
第2の仮説も早晩虚構であったことが暴かれる。膨大なアメリカ国債は紙切れになるだろう。日本国民の金融資産がアメリカに従属した官僚とその政府によって失われる。
アメリカが、リーマンショック以降ドルを刷り増し、それによって見かけの景気回復を演出してきたが、いよいよそれも難しく、再び景気後退に陥るのではないかという懸念が表に出てきてる。今や失業率は9.1%になっている。米国の連邦債務は数週間後に法定上限を突破する。もう国債を発行できない。そうなるとデフォルト(債務不履行)の可能性も出てくる。しかし、茶会派の力が増す共和党と事態を回避する話し合いは行き詰まっている。また、米連邦準備理事会(FRB)による量的緩和第2弾(QE2)という景気刺激策は打ち切りが迫っている。
日本は膨大なアメリカ国債をもっている。導入以来の消費税総額が218兆(2009年まで)に対して、政府民間保有のアメリカ国債は500兆を超える。これだけ震災復興に金がいるときだ。国が債権を持っていればそれを売って金に換えるのが当然なのだ。しかし、日本政府は保有するアメリカ国債を売ろうとはしない。いつまでもアメリカ国債をもたされている。
この1年、菅政府は前にも増してアメリカ従属を深めてきた。現在の政治状況を見ると、第2の仮説も、備えは何もできないままに崩れるに任すことになる。もはやここまでは避けがたいように思われる。
現代は、この二つの仮説が虚構であることが事実で以て暴かれれる時代だ。これはしかし、単に日本内の問題ではなく、近代世界そのものの問題だ。
人民新聞(第1421号、2011年5月5日付)に「敗戦に匹敵する危機−『原子力立国』日本の終焉か?」と題する、ギヤバン・マコーマツク氏(オーストラリ国立大学名誉教授、日本研究者)が『カウンターパンチ』(2011・4・22−24)に載せた論文が、翻訳・脇浜義明氏で載っている。
本論は、広島・長崎の核破壊から10年も経たないときに始まり、65年後の福島原発事故で終わって当然の、日本の核時代を総括するものである。
にはじまる一文は、まず平成天皇の「お言葉」の位置づけにはじまる。
1945年8月15目、降伏を伝えて国民に「耐え難きを耐え」よ、と言った裕仁天皇の玉音放送と、2011年3月16目、「大災害を前に一致団結し、助け合って危機を乗り越えよ」と国民に呼びかけたテレビ演説とは、ピッタリマッチしているように思える。
…
初めてのテレビを通じての天皇の「お言葉」は、初めてのラジオを通じての天皇の「お言葉」と同じように、根本的変革を意味するものになるだろう。どちらの場合も、危機に直面した政治権力の中枢にいる者たちが、同じような目的で天皇を活用したと思われる。国民の不安と絶望感を鎮静化させ、大惨事の責任を追及する怒りを国民的結束感へと迂回させ、癒し・修復・変化の軸としての天皇の役割を固めるために。
ここでいう「政治権力の中枢にいる者たち」とは誰か。それはいわゆる旧体制、マコーマツク氏がいう「官僚、政治、企業、メディアのエリート」とその背後にいる帝国アメリカではないか。彼らが平成天皇をして「お言葉」を語らせ、何度も現地にゆかせているのだ。
明仁の「お言葉」は、聞き手が心の中で潜在意識的に二つの危機を結びつけるような構成と内容を使っている。「お言葉」を通じて、東北で起きている大災害を超えて、今国家そのものが、1945年の大変化に相当するような変化に直面していることを察するよう、それとなく国民に呼びかけているのである。1945年の場合、裕仁天皇の役割は、敗北を認め、軍国主義と戦争からの、根本的変化を受け入れさせることだった。そして明仁の「お言葉」は、戦後日本が選んだ核の道は、父の世代の軍国主義が敗北したのと同じように、無残な敗北に終わったことを認めたことだ、と解釈できないだろうか?
「政治権力の中枢にいる者たち」は「無残な敗北に終わったことを認めた」といえるか。いえない。むしろこの期におよんでもやはり既得権を守ろうとしている。天皇の役割もまた、結局のところこの危機から、既得権益をもたらす体制の崩壊に至ることを、何とか防ごうとしているのではないか。そうであるなら、その点においても平成天皇と昭和天皇は同じ行動をしている。平成天皇は原発を推進した体制のなかの人であった。昭和天皇は自らは戦争責任をとらないままに戦後全国を巡幸した。それと同じことが今回も行われたといえるのではないか。
代々の官僚、政治、企業、メディアのエリートたちは、日本はどんなことがあっても原子力発電の道を進むべきだと主張してきた。振り返ってみると、彼らは戦前の関東軍エリートと同じように、反対を無視、弾圧、懐柔して,国家を破滅へと導いていたのだ。取り返しのつかない代償−人的、環境的、経済的−に直面した今になって、やっと長い間抑圧してきた議論に道を開いたのである。
したがってまた「道を開いた」とはまだいえない。道を開かせるかどうか、それはまさに彼我の力関係が決める。この点において、68年以降の世代がどれだけの力を蓄えてきたのか、歴史に試される。このようなときには、すべての階級と階層の力が歴史の場で試される。
マコーマツク氏は、続いて原発に関して当面する政策を提示し、最後に次のように締めくくる。
要するに、過去半世紀間の中心的国家政策の転換が求められるのである。これは、現在体験している大災害を現代文明の中核的問題に挑む機会に転化するという戦略的決心で、いわば一種の革命である。これは、国民の集団的決意と参加という圧力がなければできない。この重大な時期に日本がどう動くかによって、世界の動きも変わるだろう。
これは、基本的に政治的課題である。日本の市民社会が、憲法によって保障されている主権を行使して、この国を現在の危機へ追い込んだ無責任な官僚や政治家から国の舵を取り上げることができるかどうかという、基本的な政治的課題である。
「現代文明の中核的問題」という位置づけは正しい。だが同時にそれは実に多くのことを意味することを識らねばならない。近代日本においてそれは次のような内容を含む。
第一、経済第一の価値観と体制から次に来たるべき世の構想。資本主義の次にあるべき仮説としての共産主義における,新しい人間のつながりのあり方の構想。マルクス主義の近代主義的把握を超え、近代を乗り越える思想としてのマルクス主義の再生。
第二、このようにこの次の世を構想し、そしてこのような人間のあり方を実現する道筋を理念をもって模索すること。旧体制から離れそれに対抗するさまざまの生き方を、仮説としての共産主義への永続する運動として位置づけ統合してゆくこと。
第三、近代資本主義を生みだした西洋と、それにのみこまれた非西洋の葛藤の意味。そこから違いの共生する場としての新たな普遍の構想。問題は個別である。日本いおいては、天皇家の祖先がこの列島を支配するそれよりも以前の、縄文と弥生の混成文明とそれを支えた固有の固有の場から、明治近代を省みること。「代々の官僚、政治、企業、メディアのエリートたち」は明治期に作られた。これを解体せよ。