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■ 日本語の復興 11/10/31

古典基礎語辞典』が来た。予約していたので、刊行と同時に来た。

今この本が出てそれを読むことと、311後の世界をどのように生きるのかという問いを考えることと、深いところでつながっている。この辞典の出版は時代と呼応している。なぜそのように言えるのか。

現代世界の基本趨勢は何か。それは、帝国アメリカが衰退を続ける一方、つぎの時代の形はまださまざまの模索のなかにあるという段階にある。

帝国アメリカは,ベトナム戦争以降衰退を続けてきた。弱肉強食、拝金主義をそのまま肯定する強欲資本主義は、しかし基本的な矛盾をかかえている。それは、かららの搾取の結果、人民の購買力が衰え、売れなくなり利潤を生みだすことが困難になるという、資本主義の基本矛盾そのものである。ベトナム、アフガン、イラクなどへの戦争と、その一方でバクチ経済とも言うべき金融操作でもってその矛盾を糊塗してきた。しかしそれは地球の有限性に規定されて早晩行きづまる。そしてそのような帝国はいずれにせよ衰退する。

かつて強欲資本主義に蹂躙されたなかから立ちあがってきた南アメリカ諸国の試みには、新しいい世界の萌芽がある。アラブ世界の民衆蜂起、それからスペインにはじまる資本主義内部での蜂起、ここにもまた新しい時代の萌芽があるが、しかしすべてははじまったばかりであり、強欲資本主義の側からの蜂起を解体し取り込もうとする力と、それを認めない力とがせめぎあっている。それが現段階である。

帝国アメリカの強欲資本主義は、その有効支配の範囲がアジアの日本、オセアニア諸国、東南アジア、インドアなどに狭まり、それを保守するためになりふり構わず動いている。日本のTPP参加問題もこの流れで出てきている。また、アメリカ内部では一方で茶会運動のようなファシズム運動が力をもち、それに呼応するのが石原都政や大阪の橋本元知事の動きである。日本の民衆蜂起が、帝国アメリカの悪徳代官である霞ヶ関の占拠をめざすまでには、今しばしの時間が不可欠だ。

最悪を想定しそれに備えつつ最善を尽くせ。最悪は、日本いおいては再びのファシズムであり、アメリカにおいては初めてのファシズムである。日本は崩壊する帝国アメリカと心中するということである。そしてそのファシズム連合が世界を再び大きな混乱に投げ込み、そして最後は崩壊する。その崩壊の後の有り様は,すでに福島核惨事勃発の311以後の有り様に現れている。歴史はその必要がなくなるまで同じ内容のことをくりかえす。

この崩壊は、近代西洋資本主義世界の崩壊そのものであり、これをのりこえられるのかという問題はまさに現代文明の中核である。そのとき、もっとも基本となるのは、人間の復興であり、人をして人間とする言葉の復興である。

私はこれまで、近代の日本語に深い違和感をもってきた。それはおそらく高校生の頃からだ。主な言葉を漢字で書いた日本語に、しっくりこないというか、深いところから言葉が出てきていないというか、そういう感覚をもち続けたきた。とりわけ論理の言葉、ことわりの言葉にそれを感じてきた。古来以来、日本語は数学的ないわゆる論理の表現がなかなか育ってはいない。そこに近代になって無理をして論理の言葉を割り込ませた。その違和感は大きかった。

私が違和感をもった近代日本語が、福島核惨事を引きおこしたのだ。その日本語が支えた近代日本の支配構造、それが核惨事の根本だ。

言葉としての日本語はそれが言葉として成立している以上、そこにはその言葉のことわりがある。近代に造られた言葉を見直し、日本語固有の論理表現をくみ上げ洗練したい。そのように考えたとき、その前提として、日本語の構造を決めているような基本語をもういちど自分で定義し直さなければならないことに気づき、「日本語定義集」を、いわば趣味として余暇に勉強して書きとどめてきた。そのとき参考にしたのは、小学館の『日本国語大辞典』(1972年、初版の方、全20巻)と大野先生の『日本語の形成』だった。『日本国語大辞典』はこれが出たとき、確かまだ院生の頃だと思うが、いつかは読むときがあるような気がして、揃えてきた。我々のようなものには第一次資料にあたることはできない。『日本国語大辞典』のように網羅的に集めたものが必要だった。

言葉を定義するというのは、人生の経験として学んだ言葉の意味や意義を、辞書を通して古人の用法と照らしあわせたうえで、自分の言葉で書き直すこと。これが「定義」の定義である。本当はこれが基礎的な言葉の訓練として小さい頃からなされなければならない。しかし日本の学校では解釈は教わるが定義するということは習わない。定義するということ自体は数学から学んだ方法論だ。またアランの『定義集』なんかにも影響を受けた。

核惨事の経験を踏まえた言葉を、古人の用法と照らして書き直す。『古典基礎語辞典』の刊行はその実践を求めているということなのだ。

日本語が、古くからの縄文語と、紀元前10世紀に耕作稲作文明とともに入ってきたタミル語との混成語として成立したことはまちがいない。昔高校の世界史で、紀元前13世紀頃アフガニスタンとインドの境にあるカイバル峠を越えてアーリア人がインド大陸に進出したということを習ったとき、その大きな歴史に心を動かされ、またカイバル峠にあこがれた。同時に、ではもともとそこに住んでいたドラビダ人はどこへ行ったのかと思った。その疑問は長く放置していたが、肥沃な河川流域から南インド・デカン高原に南下したのと、一方、東南アジアへ広がり、その一部が日本列島弧にまで達していたのを、大野先生の岩波新書の『日本語の起源』なんかで知った。そのとき、そうか日本にも来ていたのかと納得した。それ以来大野先生の本はほとんど読んだ。その後、初期の弥生の遺物の炭素年代測定から紀元前10世紀も確定し、時間の具合もあっている。

私は日本語についてまったく素人なのだが、しかし考えてみれば言葉は素人玄人関係なくみな使う。つまり日本語を母語とするすべてのものが、日常の言語生活として、言葉を定義してゆく。それが人間が生きるということなのだ。そのうえでなぜ定義集としてまとめることを試みるのか。言葉の構造と一体に形成されたこの世界をつかむことわりが、もういちど人びとの手にとりもどされ、新たな世のいしずえとなることを願うからである。定義してゆくという人と言葉との関係が、日本語世界にも生まれないかぎり、この言葉とそれによって作られている世間に先はない。

そのように考え、日本語を母語とするものとして10年ほど前から少しずつ勉強してきた。しかしこの2、3年、やや壁にぶつかり、また射影幾何などの方が忙しくてなかなかすすんでいなかった。今回の『古典基礎語辞典』はタミル語との関連がその中に書かれている。これは嬉しい。必要なとき以外は『日本語の形成』をひかなくてよい。千数百ページあるが読むつもりだ。射影幾何とガロア理論と確率まで勉強して、教育数学の素材を一応まとめたら、その後の年月はこの辞書を「読む」ことに費やすことになるだろう。これを積みあげ続けていきたいものだ。

311後の世界で、日本語を再定義する。これを基調にしたい。