玄関>転換期の論考

■ 相国僧堂 12/07/14

 今日は京都相国寺の専門道場である僧堂で坐禅をしてきた。この僧堂での座禅は44年ぶりであった。1967〜1968年、私は相国寺在家居士の会である智勝会に加わり、当時専門道場の師家であられた故梶谷宗忍老師に参禅し、日曜日ごとに僧堂で坐禅をするという生活をしていた。また赤穂の寺での合宿や臘八の接心にも参加した。1968年晩秋、京大が全学のストライキに入った頃、寺から足が遠のいた。それ以来である。つい一、二年前まで、もうこの生のうちに禅修行に触れることはあるまいと思っていたが、昨年秋、智勝会OBの方から連絡をいただいた。それについては「智勝会の人からの手紙」に書いた。今回もOB座禅会の案内をいただき、今日参加してきた次第である。

 相国僧堂は一般公開されていない。これまでも何度か近くを通ったが、中に入ることはできなかった。それで、私の方はまったく44年ぶりの僧堂である。僧堂に入るにはいささか思い入れもあり心の高ぶりも感じていたのである。が、いざ僧堂に対面すると、何ごともなかったかのように僧堂はそこにあった。「お前はこの44年間どこを放浪していたのだ。僧堂は常にここにあったのだ」と言われているような気がした。数百年、応仁の乱や幕末の戦火、天明の大火災や天変地異と幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しながら、ここで一貫して雲水や居士が修行し続けた来た。その歴史、その事実は重い。44年は短い間だ。それに圧倒されながらも、しかしまた、この44年の自分の歩いてきた道は、ここで学んだこととどこか根底でつながっている、その思いもまた強く起こってきた。

 そのような個人の心の動きは、しかしひとまず横において、僧堂で坐禅し、老師の『臨済録』提唱を拝聴し、その後精進料理をいただいてきた。禅と仏道修行についていま何かを語ることはできない。ただひたすらに坐る。世間ではよく「自分のやりたいことを見つけなければだめだ」「自分は何ものなのか」「自分探しを」などと言われる。しかし人間は「何々としての人間」である前に「ただ人間」なのだ。この事実、この発見、自分など探さなくてもここに、足もとに、あることの発見。禅はそれをおこない続けてきた。「何々としての人間」ばかりが前面に出て「ただ人間」を見失っている現代。そういうことなのだと思う。ここを深めることはまだまったくこれからの課題である。

 京都は御霊会、祇園祭の時節である。貞観大地震の後のころから千年以上続く祭である。帰りに四条河原町で乗り換えついでに地上に出て、山鉾を撮して戻ってきた。帰ってみると、「宗教者が共同声明 原発の廃止求めます 51氏呼びかけ 宗教・宗派の違い超え」がネットに流れていた。五十音順であろうがその筆頭は臨済宗相国寺派管長の有馬頼底氏である。直接にはまったく知らない人であるが、この僧堂で修行されたことはまちがいない。また51名のなかに曹洞宗の人は名がないが、越前永平寺は福井原発に近く志賀原発の地元である。その中からも昨年秋ようやくに「これまでの原発との関わりを省みる催し」もおこなわれた。核惨事は人間が「ただ人間」として存在していることそのものを否定する。そしてそれは、金儲け第一の世では、自然現象を引き金に必ず起こる。禅の原理とその人間観は、いまの世における原発に対して、これに反対する根拠である。ここは私自身の問題としてこれからよく考えなければならない。これからも智勝会OBの集まりには動けるかぎり出て行くつもりだ。もういちどこの問題を目の前に提起してくれたことにほんとうに感謝する。