注文していた『ひらがなでよめばわかる日本語』(中西進著,新潮文庫)の古本が来た。中西先生の文章からは、これまでも大きな視点からいろいろなことを教えられた。今回この本とあわせて『日本の文化構造』(岩波書店)も買った。私のこの夏の課題図書である。文庫本はいずれ詳しく読もうと思いながらこれまでできていなかった。文庫本の量なので読み通すだけならすぐであるが、一つ一つの言葉を『古典基礎語辞典』と照らしあわせて読むのである。そして現代の立場からその意味をもういちど言い直すのである。いくつかの言葉は『定義集』でやっているが、それでもその他におよそ100語あるので結構時間がかかるだろう。
私が教員として現代日本語に関心をもったのは「いまの高校生はどうしてこんなに考える力が弱いのだろう」という問題意識からであった。もともと学生時代から言語そのものに対する感覚はそれほど悪くなかったとは思うが、現実の高校生に出会って、彼らの使う日本語についてもっと詳しく知らねばならないと考えるようになった。結論的には、明治時代にたくさんの漢字造語を作ったが、そしてそれは、西洋の文物を移入するにあたって、翻訳語として作られたのであるが、それらの言葉が、日本語の構造とは無縁に作られ、その結果、高校生の使う日常の言葉と、教科書の言葉や答案での論述文があまりにもかけはなれてしまった。頭の中が、どの言葉で考えればよいのかわからない状態である。確率が苦手、空間把握が弱い、おしなべて近代日本語に根源の要因がある。
かつてドイツに留学した日本の哲学徒の部屋の掃除に来たメードが、窓をあけるときに「aufheben」と言った。「aufheben」はヘーゲル哲学の基礎概念で「止揚」と訳している。それで、「ドイツではメードまでこんな哲学語を使うのか」と感心したという話がある。しかしこれは逆で「aufheben」は誰もが使う日常語なのだ。それを抽象して基幹の言葉に育てたのがヘーゲルなのだ。ドイツに学ぶのなら、何よりこのような日常語と哲学語の関係をこそ学ぶべきであったのだが、肝心なところは学ばず、結果のみを漢字語に翻訳して移入したのだ。ドイツ哲学を知らないドイツ哲学者である。このような日本の西洋学者の言葉が、いわゆる霞ヶ関用語、原子力村の言葉の基礎にある。
このあたりに、高校生の考える力が近年とみに低下してきた根源があるのではないか。しかし「何よりこのような日常語と哲学語の関係をこそ学ぶべき」というのは、言うは易くなすは難し、の典型である。なぜなら言葉への問題意識を共有して日本語を変えてゆかねばならないのだから。これもまた自分の世代では解決しないことなので、せめて、漢字語におおわれる前のまさに「ひらがなで読む日本語」を、少しずつでも再定義して残しておこうと考えた。そして「ひらがな日本語」のもつ仕組みを少しでも取り出せればよりよいと考えるようになった。そこから考える言葉を育てることはもっと先のことだと思う。今できることをしておこうという思いである。
日本語は、5000年以前からのいわゆる縄文語、これはモンゴロイドの言葉で、東アジアと南洋アジアの土台にある言葉であるが、その縄文語のうえに、3000年前タミール語が水田耕作や鉄器とともに入り、混成し熟成してできたクレオール語である。それはまちがいない。これについては大野晋先生が先鞭をつけられた見解はまったくその通りであると考えている。
昔高校生の頃、世界史で紀元前十数世紀、アーリア人がカイバー峠を越えてインド大陸に入ってきた、ということを習った。知っている高校生は多いと思う。カーバー峠を越えた民族移動に何か大きな世界を見たように思った。と同時に、ではそのころインド大陸にいたドラビダ人、タミル人はどこへ行ったのかとも思った。その後この問題は忘れていたのであるが、大野先生の日本語の起源に関するいくつかの本を読み、「そうか、タミル人は日本列島にも来ていたのだ」とわかった。大学生になったころ一般教養科目で藤岡謙二郎先生の地理学もとっていた。高校の地理の先生が藤岡先生の弟子だったので名前を聞いていた。藤岡先生は「リヒトホーフェンは偉かった」が口癖の先生であったが、リヒトホーフェンの話しをされた折に「歴史地理や考古学では素人の判断が多くの場合正しい」と言われたのを覚えている。これで行くと、「タミール人は日本列島にも来ていた」という私の素人判断はきっと正しい。日本語が縄文語とタミル語の混成語であるということは、日本の言語学会では受け入れられていない。しかしそれにもかかわらずこれは正しい。
と言うことで、タミル語との関係も書かれた『古典基礎語辞典』が出版されたおかげで、こちらの作業の基本文献がそろった。焦らずあわてず、のんびりもせず、で行こう。