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■ 独立なくして脱原発なし 12/09/22

 先日の日記の追伸で「19日野田内閣は『2030年代に原発稼働ゼロ』を目指す戦略の閣議決定を見送った」と書いた。何のことはない、それはアメリカからの圧力を受け入れたからであった。そのことを22日の東京新聞が報道している。「原発ゼロ『変更余地残せ』閣議決定回避 米が要求」である。この重大問題を他紙は報道もしない。東京新聞のこの記事の解説文は優れた分析である。引用させてもらう。

まったくその通りである。しかし国民への「説明」など官僚の傀儡である野田政権には不可能である。アメリカの核政策の基本は、アメリカ本土では新規の原発は作らず段階的に廃炉。そして核兵器のためのプルトニウム生産と核のゴミを日本に押しつける、ということである。だからアメリカの原発産業も日本企業に引き取らせた。今回のアメリカの要求はこの基本政策から出てきている。野田政権はこれを忠実に踏まえた。野田政権とはこのようにアメリカの悪代官そのものである。だからはじめから閣議決定する気はなく、「アメリカの要求」は見せかけのものだったかも知れない。それは同じことだ。

この間、アメリカ、とりわけアメリカ産軍複合体につながるところからの対日圧力は露骨である。尖閣諸島の問題がこのように表面化したきっかけは、石原東京都知事がアメリカを訪問したとき、唐突に尖閣諸島を都が買い入れることを表明したことである。このとき誰が石原に入れ知恵したのか、あるいは指示したのか、それはわからない。しかし政治的には明白である。世界に展開するアメリカ軍はもはや無用の長物であり、オバマもイラク撤退を決め、アフガンからも引こうとしている。産軍複合体にすれば、紛争が続かなければ儲からない。それで東アジアに緊張を生みだせ。石原が忠実にこれに従った。そして何の準備もなく野田素人政権が尖閣諸島を国有化し、今日の事態に至っている。

 オスプレイ問題も同様である。オスプレイは普通の戦闘ヘリコプターの何倍もする高価な兵器であり、軍需産業にとってボロもうけのヘリなのだ。これが欠陥機であることになれば、軍需産業とアメリカの受ける打撃は計り知れない。アメリカで利益を生みだしうる唯一の製造業は軍需産業である。しかしオスプレイは事実欠陥機であり、戦場では使えない。地上から攻撃されればそのまま墜落する。そこで沖縄、である。アメリカに従属することで国家を握ってきた官僚とその旧体制、これに操られた野田政権がオスプレイを受け入れた。しかし帝国アメリカは凋落しつつある。こういうときは技術も落ち隙がでる。オスプレイは必ず事故を起こす。それを機に日本の反対運動は根源の問題である日米安保に目を向けたものに発展せざるを得ない。事故が人に被害のないものであることを願うばかりである。

 東アジアの緊張とオスプレイは一体である。人民新聞1457号「<a href=""http://jimmin.sakura.ne.jp/htmldoc/145703.htm"" target=""_blank"">辺野古  根強い反対運動と巻き返し謀る推進派</a>」などを読むと、「『中国の脅威から尖閣・沖縄を守ろう実行委員会』の主催(幸福実現党などが協賛団体として参加)で、日の丸を掲げ、『オスプレイが中国の侵略から尖閣・沖縄を守る!』『Okinawa Welcomes Osprey!』を訴え、県民ひろば〜国際通りをデモしている。」という具合である。アメリカ産軍複合体は東アジアに緊張を生みだし、アメリカ軍とオスプレイが沖縄に存在する意味を演出する。『実行委員会』はこの意図の通りに動いている。しかしそれにしても、右翼というのは民族派であり、何より日本の人々とその土を守る立場ではなかったのか。沖縄の土は安保条約と地位協定のもと実質的に今もアメリカの支配下にある。この現実を見ることができずに「尖閣を守れ」と言ってもそれは全く空しく、アメリカの日本本土政府を通した沖縄差別支配に加担するだけである。戦後日本右翼の対米隷属はあまりにも情けない。「親米売国のエセ右翼」、これが日本の右翼といわれる人々の多くの実態である。愛郷主義(patriotism)としての民族派の魂を取りもどせといいたい。

植草さんが「松下忠洋金融相急逝は本当に『自殺』によるものか」と題して一文を書いておられる。われわれには実際のところどうであるのかはわからない。しかし事実として、これまでも多くの政治家や報道人が帝国アメリカの闇=産軍複合体の闇を暴露しようとして殺されてきた。凋落する帝国の最後のカネずるは日本の郵政にある金融資産である。これをアメリカ資本から守ろうとするものは許さない。松下氏の死も、政治的には、これもまた産軍複合体につながる手による謀殺である。植草さんのような人がこれをここまで書くには勇気が要ることである。ぜひこれを読んで、現代世界の現実について考えてもらいたい。

脱原発を実際に実現するためには、アメリカからの独立が必要条件である。独立とは形式ではない. 国の進路を自ら決めることである. 沖縄の米軍基地を撤去し東アジア交易の拠点としての沖縄繁栄の基盤を作る、ここにしか沖縄の未来はない。しかしその前提は安保条約の破棄と帝国アメリカからの独立である。問題の根は同じなのだ。運動が別々であってはだめである。脱原発金曜行動の主催者が政治色を出さないようにしても、そしてそのことに従来の運動からの脱皮をめざすという意味において意義があることを認めても、問題はやはり政治である。問題の根は現代世界のなかでのアメリカというものにあり、それぞれの国がこれにいかに対するかという国内政治の問題となってゆく。これは政治課題そのものである。