玄関>転換期の論考

■ アメリカ問題は人類の課題 12/12/07

選挙が始まった。「未来の党」も比例区では「日本未来の党」とすべて書かないと無効になるようだ。解散後の結党では略称ができないとか選管が言っている。そのつもりの人は要注意。その未来の党であるが、比例区の名簿順位を巡っていろいろあったようだ。先日の「脱原発シンポ」に来ていただいた熊谷貞俊さんは近畿比例区の先頭かと思っていたら下から二番目。もう少し礼を尽くしてもいいようには思われるが、それは今後党内で議論してもらいたい。こういう変革期には、おのれの損得は横に置いて、公のためにつくす滅私奉公の心を失わないようにすることが肝心だ。私利私欲で政治をもてあそぶ者は歴史に淘汰される。その点、歴史は非情である。いずれにせよ、今回の衆院選、次の参院選、そしてその次の衆院選、このあたりまでを見越すなら、大きな時代の転換が議会選挙にも現れてゆくことはまちがいない。そのためにそれぞれの場でできることはしたいものだ。

そのうえでこのような変革期に大切なことは、歴史を主体的につかみ、能動的に生きるということだ。主体的につかむということに関して、われわれはまだ十分ではない。現在のさまざまの政治の動向の背後に、アメリカとの関係をどのようにするのかという問題があることを多くの人が指摘する。実際、最近も、たとえばこの間の慣例を破って外務次官から駐米大使に着任した佐々江賢一郎・新駐米大使が11月27日にワシントンの日本大使館で記者会見、そこで、「TPP推進で日米協力が進む事を望む」および「辺野古移転」また「尖閣問題について日米安保条約にもとづく米国の支援に疑いをもってはいけない」などなど語ったように、アメリカに従属することで既得権益を守ろうとする官僚層の動きは醜く続いているし、これに対して日本未来の党の小沢氏は、アメリカに対して日本という主権国家としてもっと対等に対応できるようにならなければならないと言われる。それはその通りであり、その段階を飛ばすことができないのも確かである。

今日の日本の政治的分岐は、対米従属か対米自立かであり、それがまた原発維持か脱原発かの分岐と一致する。いずれを選ぶのか、これがこれから数年はつづく政治的分岐である。ここに主要な矛盾、現在の政治状況を規定する分岐点がある。対米従属派は、政党的には自民党、民社党、公明党、維新の会、国民新党と分かれている。分かれることで多様な人々を惹きつけ、選挙が終われば連立して対米従属・原発維持でゆく。これが裏で政治をしきっているものの考えていることである。これに対して、対米自立・脱原発派はようやくにまとまってゆこうということになった。脱原発は実際上はアメリカの核戦略からの離脱がなければありえないこともそのとおりである。アメリカからの独立、それと一体の対米従属の戦後国内政治の克服、この課題で統一して闘う、この共同戦線ができつつある。が、もとより多様な人々である。その中にも矛盾がある。しかし主要な矛盾がどこにあるかをおさえて、互いの間の副次的な矛盾は一旦は横におく、これが滅私奉公であるが、これでいってもらいたい。

しかしさらに考えねばならないことがある。現在の脱原発と対米自立論には一つの共通した傾向がある。アメリカからの独立が必須の条件であるとの認識はある程度共有されるようにはなった。しかし日本がアメリカから自立したとしても、それだけでは帝国アメリカそのものは残る。日本はアメリカの核戦力から離脱し脱原発をすすめてゆく。しかしそれだけでは核兵器の五大国独占という事実はそのまま残る。それでよいのかということである。

われわれは、広島・長崎・福島を経験した。人道に反する大量破壊兵器・原爆の惨禍と原発核惨事をともに経験した。これをもたらしたのが帝国アメリカである。このアメリカについて、私はかつて次のように書いたことがある。9.11から2年後の2003年12月7日に当時もっていたブログに書いた文章である。イラク戦争は、2003年3月20日よりアメリカ合衆国が主体となった有志連合が、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由として『イラクの自由作戦』の名の下にイラクに侵攻したことで始まった。それに対する私の意見であった。

イラク戦争反対!叡智を集めアメリカ問題からの活路を見いだそう。2003.12.07

このときから問題意識として「人類の課題としてのアメリカ問題」があった。この一文を書いたとき、その後ろに、ジャズサックス奏者MASAさんが伝える黒人ミュージシャンの言葉「よく見ていなさい。いまにアメリカはつぶれる。」と映画字幕制作者のリンダ・ホークランドさんの言葉「ここで立ち止まり、ムーア氏が説いた警告に耳を傾ける必要があるのではないか。このまま進めば、最後には破滅的な結末が待っていると気づくために。」も引用した。アメリカのなかにも、アメリカを相対化しその問題を自分のこととする人のいることもおさえていた。

それから9年。この間に、2008年の世界的な経済危機があり、そして2011年日本の福島の東電核惨事があった。いよいよ明らかになったのは、アメリカから独立すればよいという問題ではないということだ。人類全体の問題である。同様に、原発の問題は、原発に依存しないエネルギーを開発して原発を止めると言うだけの問題はない。核兵器の本当の廃絶という問題である。つまり、日本において顕在化した諸問題の根拠を遡ると、アメリカの存在や核兵器の存在をそのままにして、日本だけが脱原発しアメリカから独立するという問題ではないことがわかる。

人類がかかえる最大の問題としてのアメリカ問題と核兵器問題、ここからの活路をどのようにきり拓くのか。「それに代わる価値観」を考え続け、核惨事を経て、それが「人間として」の生き方であり人間原理の実現である、というところには至った。原爆と核惨事を経験したわれわれはアメリカ問題の当事者である。この立場と観点をしっかりもって、深く掘り下げることが必要だ。それなくして対米自立もまたありえない。