玄関>転換期の論考

■ ショック・ドクトリン 13/01/21

現在安部政権が進めている諸政策を世上「アベノミクス」と呼んでいる。アベノミクスとは何か。それを「レイバーネット」で木下昌明さんは、

と言っておられる。まったくそうなのだと思う。ただ一点、8割というのは結果としての議席数。どれだけの人が自民党に入れたかは別問題。でその、ショック・ドクトリンとは何か。神戸大学の塚原東吾さんは「災害利用型資本主義の展開」(人民新聞1430号)で

といわれる。この一文は学者としてのたいへん誠実な発言で、いま読みかえして学ぶところがい多い。これが載ったのは2011年11月である。この一文は民主党時代に書かれたものであり、この時点では「自民党が単独で政権復帰する力はない」と書かれているが、その後、民主党のさらなる混迷と分裂、官僚が仕組んだここという時点での解散とそして小選挙区制、これらがあわさって、自民党政権となった。上記一文にあるショック・ドクトリンの手法やその政策の解説とそれに対する批判は、まるで安部政権の出現を見越しているかのようである。

「ショック・ドクトリン」とは要するに「恫喝資本主義」である。災害時におどして、冷静に考えられないようにしておいて、弱肉強食のむきだしの資本主義を拡大する手法である。その最初が「電力が足りなくなる」という恫喝であった。これで大飯原発を再稼働した。安部政権になって、誰はばかることなく正面からショック・ドクトリンの手法を使いはじめた。それがアベノミクスである。そこで出てきたのが「デフレ脱却、経済再生」である。拡大を旨とする資本主義手法が限界に来ているがゆえの不況であるのに、脅して、さらに経済を、その実、格差を拡大しようとする。云々。堰を切ったように露骨な新自由主義政策を、マスコミのオブラートに包んで展開している。

われわれが向きあっているのは、まさに現代の資本主義そのものである。日本版「ショック・ドクトリン」=アベノミクス。その中味は小泉改革のさらなる徹底。格差を拡大し世間を分裂させ、この期になってもまだ利益を搾り取ろうとする資本主義である。アルジェリアの事件も利用して、自衛隊の海外派遣ももっと進めようとするだろう。アメリカの肩代わりである。また、日中の小競り合いも起こるかも知れず、それを利用して沖縄米軍をさらに固定化しようともするかも知れない。

上記一文にも書かれているが<「災害を利用する」明確な意図もった政策集団>が官僚組織の中にあり、それがアメリカの産軍複合体とつながっている。しかし、そういう手法はもはや限界である。この地球は有限なのだ。資本主義の限りない拡大はもはや不可能であり、アベノミクスはやればやるほどさらに泥沼に入り込む。最後はいつか来た1945年8月15日である。「ショック・ドクトリン」という概念は3.11以前にも聞いたことがあったが、そのときはまさか日本でこのように現実化するとは思いもよらなかった。その意味でも、アベノミクスは使い古された手法であり、賞味期限切れの手法であり、オバマのブレーンの中にはショック・ドクトリンの限界を知っている者もいて、それを日本にやらせて最後のババを引かせようとしている、とも言える。

拡大型資本主義は限界に来ている。そうではなくて、有限の地球の上での人間としての無限向上、である。ここに意義を見出す新たな人のつながりとそして世のあり方を生みだしてゆかねばならない。問題が世界大である以上、われわれもまた国境を越えたつながりが必要だし、また各地で続く金曜行動も、このようなショック・ドクトリンの手法を使う資本主義への対抗運動として、普遍性がある。800年続いた西洋の時代は、新しい人間の時代への転換を迎えている。一人一人の生き様はみなつながっている。こころざしは大きく、できることを着実に、である。