以下の一文はこれから時間をかけて考えてゆく、その手はじめである。今後改訂や再訂がある。また考えが変わるかも知れない。
さて『文明と経済の衝突』(村山節、浅井隆著、1999年)という本を読んだ。村山節氏は2003年に亡くなられた歴史家であり、1952年、6000年に渡る歴史を統計的にも処理し、帰納的に導き出された文明交替の法則を提起された。これはで次のような内容をもっている。
地球の文明は大きく「東の文明」と「西の文明」に別れる。そしておよそ800年を周期に高揚期を交替させてきた。実際、紀元前400年頃、西の文明としてのギリシャ・ローマ文明が高揚に向かいはじめる。紀元400年頃ローマ帝国が亡びそれに代わって東の文明である唐・宋文明やイスラム文明の段階になる。そして紀元1200年頃、十字軍による東方侵略にはじまり西の文明の時代、経済を第一とし物質的繁栄を第一とする文明が続いた。なぜ800年という長さになるのか、村山氏もそれは明確にはわからないが、文明が進んだと言っても大きな地球の歴史のなかでは小さなこと。より大きな太陽系の何かが規定しているのかも知れない。本書はこの文明の800年交替説を基礎に現代を考えようという共著であった。
確かに、この800年は経済を第一とする西洋文明の時代であった。その始まりは、私は1181年、1209年、1226年に行われたアルビジョワ十字軍にあると考えている。これは西洋内部においてまず、北方のフランク王国が南フランスのラングドック、プロバンス地方に栄えていた地中海文明を滅ぼす。この間にこの地方のカタリ派住民100万人が殺されたという。そしてそれに引き続いて、イスラム世界への十字軍である。当時、ペルシアやイスラム帝国・アッバース朝は繁栄を極めていた。十字軍はその地に侵略。さまざまの文物を略奪して持ち帰る。それが水揚げされたのがヴェネチアなどの都市であった。その略奪文物を基礎にルネサンスがはじまり、その一方で東方への侵略が世界大に広がる。奴隷貿易もまたこうしてはじまり、アフリカの社会基盤は現在においても大きく損なわれたままである。
2009年、この地中海文明を肌で感じておきたいと、南フランスを旅した。「フランス紀行3」前後がそのときの日記である。地中海文明といってもそれは生活しなければ本当はわからないことごとではある。それでもオクシタンやプロバンス地方を実際に歩いて感じることも多かった。フランスにはこの1200年頃に滅ばされた地中海文明が伏流のようにもう一つのフランスとして息づいている。それが歴史の転換期に顕れる。パスカルがそうだった。シモーヌ・ヴェイユがそうだった。新教徒ユグノーもラングドック地方が基盤であった。そしてまた、この地は北方フランスに亡ぼされた地であるだけに、プロバンスの北方リヨンと共にあのナチス支配の時代には抵抗の地であった。その旧跡なども見てまわった。
こうして、アルビジョワ十字軍とともに侵略と物資的繁栄の西洋ははじまった。そして800年。800年ごとの文明の交替期は、大きな混乱の時代となる。新たな交替期は、1975年、南ベトナム民族解放戦線と北ベトナム軍が連合して、アメリカ帝国主義を打ち破ったときにはじまる。東洋の小国ベトナムが戦後世界を支配してきたアメリカを打ち破ったのである。ベトナム反戦運動を背景とする1968年の世界的な青年の反乱もまた、これと一体に時代を画していると言ってよい。アメリカは、この戦争の痛手の結果、金本位制を維持することができなくなり、これを止める。ニクソンショックである。金の裏付けを欠いて、ただアメリカに残された政治力と軍事力だけに頼る経済は、ますます最後のあがきとしての放縦資本主義に走り、ドルと円をひたすら刷り続けている。これが早晩行き詰まることはまちがいない。
私はこの歴史の転換を、「経済原理の世から人間原理の世への転換」と位置づけてきた。だから西の文明と東の文明の交替とはとらえてこなかった。ここはこれからもっと考えなければならないところだ。いずれにしても、これまでの歴史では、この交替期の混乱は100年続く。1975年以来まだ35年である。まだまだ混乱期ははじまったばかりなのだ。いっとき亡びる側が勢いを盛り返すときもある。TPPはまさにそういうものだろう。安易に「これからは東洋の時代だ、日本の時代だ」という人も多いのであるが、安倍政権の方向でこのまま行けば「かつて日本という、東洋にありながらアメリカの没落と共に没落した哀れで愚かな国があった」と歴史に記されることになる。事実、歴史的にはそういうこともまたあった。では実際、これからどうなるのか。これはわれわれの前に開かれた問題である。
この本を読んで、自分の人生がこの転換期のはじまりの時期に、その歴史的事実とともにあったことを確認できたのは収穫だった。歴史の転換期に、人それぞれもその生き方を見直す。1972年の頃、これからどのように生きてゆこうかと考えるときに、私にとってシモーヌ・ベイユのあの激しい生き方は一つの指針であった。「『アンドレとシモーヌ』を読む」にもそれを記した。そのシモーヌが、哀惜と共に語るのが、北方フランク王国に滅ぼされた南フランスの地中海文明である。そしてその滅亡は、同時に資本主義西洋800年のはじまりであったのだ。その西洋800年が転換をはじめた1972年前後、こちらはシモーヌ・ベイユの著作を一心に読んでこれからを考えていたのであるから、まさに歴史は巡り巡る、である。
人間はこのように、人生の途上で、大きな歴史のなかの小さな歴史を想い、考え、そして残された時間を生きるのだ。大きな歴史はその人の与えられた前提である。その場において、人間としていかに生きるのか。村山先生の御本は、歴史のなかの個人の生き方をも問うものである。
文明の交替は、それを担う主体が形成されないかぎり、絵空事である。その基礎作業は言葉を育てることである。青空学園は、そのためにできることをする、これを意図してきた。日暮れて道遠し。しかし道はこの方向にしかない。