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■ 資本の専制、奴隷の叛逆 16/02/19

人民新聞に掲載された、廣瀬純(龍谷大教授)さんと小泉義之(立命大教授)さんの対談:「いよいよ 面白くなってきた〜アンダークラスの視座から撃て〜」(前編)(後編) に触発され、『資本の専制、奴隷の叛逆』を手に入れこの2日で一気に読んだ。この人民新聞の対談の冒頭で廣瀬さん自身が、

新年1月に刊行する本(『資本の専制、奴隷の叛逆――「南欧」先鋭思想家八人に訊くヨーロッパ情勢徹底分析』航思社)のため、僕は8月中旬から1カ月、スペイン、イタリア、ギリシャを巡り、8人の論者たちに今日の欧州情勢についてインタヴューしてきました。

とこの本を紹介している。21世紀に入ってからの南欧のギリシアとスペインでは、北方の強欲な金融資本とその政治に対する生存をかけた闘いが行われてきた。その経験を、内部から聞き出そうとする書である。一読を勧めたい。

 スペインやギリシアの運動は、日本における昨年の戦争法に反対する反ファシズムの運動と同時代の運動であり、通底している。廣瀬さんが「奴隷」というのは、この間のこちらの言い方では「人的資源」である。奴隷の反乱とは「俺たちは資源ではない。人間だ」という叫びである。この運動は、それまではまったく思いもよらなかったものであり、「僕達に左翼であることをついにやめさせてくれる出来事でもありました」(ラウル・サンチェス・セディージョ)。この言葉は深くこちらにも響く。ただ、その意味、その背景の掘り下げは、この本の中ではなされていない。

旧来の左翼とは、資本家階級に対立するものとしての労働者階級を取り出し、彼らに労働者のおかれた状態は資本主義に起因するものであり、そこからの解放は、資本家を打倒し社会主義を実現しなければありえないと、訴え呼びかけ、そして実際にそれに向けた運動に組織してゆこうとする。このことに自覚的な人間の組織が党であった。しかし歴史が求めていることは資本主義の打倒そのものではなかった。資本主義とは別の世を生みだそうとする試みはすべて水泡に帰した。

実は資本主義は終焉しつつあったのであり、今もその過程にあり、ついには最後の段階に来ているのだ。資本主義とは拡大し続けなければ存在しえない。奴隷貿易にはじまり植民地支配、世界の再配分の世界大戦と、すべて拡大のための政治であった。しかし地球は有限であり、今日もはや拡大の余地は残されていない。資本主義は地球の有限性と資本主義自体の矛盾によって、終焉の段階に入りつつある。最後の段階で、資本主義は足元において格差を生みだし、そこから収奪するしか拡大し得なくなった。もちろん例外はある。唯一拡大しうる分野、それは兵器産業である。強欲な資本主義は戦争で儲けるしかなく、紛争をあおりファシズムに走る。現代世界の紛争はすべてこのファシズムが作りだしたものである。

この資本主義の終焉期に現われるファシズム、これと闘い、その闘いのなかで、新しい時代を担う人間が現われ育つ。歴史はそれを求めている。歴史が求める可能性は必ず現実化する。資本主義の終焉とそこの現われる新たなファシズム、これに対抗する人々の闘い、ここに、21世紀の、スペインやギリシア、香港、台湾、そして日本での新しい運動が起こる基盤がある。現代は、資本が人間を資源として使う段階から、人間が経済を方法とする段階への一大転換期である。歴史が求めるのは、経済を方法として使いこなす人間の登場である。そしてこの新しい運動の意味は、転換期を担う新しい人間の登場ということであり、ここにこそこの運動の意義がある。この本の中では、人間を資源として収奪する新自由主義と闘うという基調であって、その土台にある時代の枠組としての「資本主義の終焉」というおさえはなされていない。客観的な事実としての資本主義の終焉という問題から目をそらすことはできない。

また、本書の論者は、北方のドイツを中心とする金融資本と南欧の人々の闘いという軸で語る。アメリカがあまり出てこない。しかし、問題の根源はアメリカの産軍複合体と金融資本である。資本主義の終焉期にドイツ内部でも格差が広がり、南欧でもしかりである。そして、スペインでもギリシアでも北方になびこうとする政府を倒してきた。問題は欧州内部のことではなく、地球大のことである。このこの問題を掘り下げている<『アジア記者クラブ通信』280号:軍産複合体の実態と役割を特集>などを参照すれば、ISの問題を含めて、戦争状態を続けたい軍産複合体の動きがわかる。まさに、帝国アメリカは現代のローマ帝国、資本主義の終焉期にのたうつローマ帝国である。崩壊する帝国は世界に惨禍をもたらす。ここに現代ファシズムの本質がある。本書の対話はこの点の掘り下げも十分ではない。

それでも8人の見解は面白く、臨場感にあふれ、現場の息吹が伝わるものであり、同時代のものとしての深い共感とともに一気に読めた。そして同時に、私がこの10年、いろいろ考え積みあげてきたことごとのいささかの意味についても、改めて考えさせられ、そして見直させられた。南欧の息吹を伝えてくれいろいろ考えさせてくれた廣瀬さんにはほんとうに感謝する。