玄関>転換期の論考

■ 日本神道(一) 17/01/23

日本神道とは、明治期に成立した国家神道とは真逆の、古来よりの神の道である。

私は茶所の宇治に生まれた。小学校低学年まで住んでいた宇治川べりの家の近くに、現存する日本最古の木造建築である宇治上神社があった。桐原の泉といわれる湧水の建屋も古く、そこに座り込んで風に揺れる草木を見つめていた。その後、引っ越したところには縣神社があった。六月五日は奇祭といわれる縣祭。かつてこの日は小学校も午前中で終わりだった。真夜中に梵天のお渡りがある。家を開放し大阪から来た人らを泊める。お宿といっていた。母が鯖寿司を作る。

京都では如意ヶ嶽、いわゆる大文字山の麓の北白川に下宿した。ここは白川女の里であり、北白川天神宮があった。考えごとのあるときは、いつも石段を登った境内に腰掛け思いにふけっていた。そしてまた、大学の横には吉田神社があった。八角形の奇妙な建物も印象深い。室町時代から続く節分の縁日には夜店が並ぶ。吉田山には多くの摂社や末社もあり歩きまわった。

働いてからは、西宮に住んだ。はじめに住んだところは西宮えびす神社の近くであった。それから引っ越し広田神社の地元に住んだ。宮参りにも行かせてもらった。さらに北へ引っ越してからは、もう四半世紀以上、巨岩をご神体とする越木岩神社が地元の神社であり、初参りもどんど焼きも毎年欠かさない。左翼活動に打ち込んでいた時代も初参りは続けていた。越木岩神社を取りまく雑木林は、原生林である。冬も葉を落とさない常緑の林である。巨岩を囲む雑木林のなかに神社を置き、その自然を守り、その力への畏怖をいだき、身近なものの安寧、世の平安を願って手をあわせる。この地で営々と人は祈りとともに生活し、そして命をつないできた。

私は別段、神道の信者ではない。近年、日本語の再定義という問題に導かれて、本居宣長や平田篤胤を読んできたが、神道の教義として読んだのではない。私も、そして神社に参って手をあわせる多くの人にとっても、神道は、神とその教えを信じるというよりは、このような風土とそれに根ざした文化を受けとめ、われわれの生の根拠を感じとり、そして祈るものであった。

神道の「神」とは何であるのか。言葉としての「カミ」は、大野晋先生があきらかにされたように、タミル語「ko-man」に由来する。その意味は「大きな力をもつ恐ろしい存在」である。この言葉が多くの関連する言葉をともなって、水田耕作技術とともに日本列島に伝わった。このタミル由来の言葉「カミ」が縄文語と混成し、混成語として熟成するの中で「カミ」の「カ」は「アリカ」や「スミカ」の「カ」と同じく人の生きる場を意味し、「ミ」は「ム」の名詞化であり「ム」はその場をむすぶ、つまりそれを成り立たせるものとなっていった。三千年前から二千五百年前の時間である。こうして「カミ」は人の生きる場を成り立たせているはたらきとなる。これが「カミ」の基層の意味である。

本居宣長の定義は次のようになる。

凡て迦微(かみ)とは、古の御典(みふみ)等にも見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其の祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、其の余(ほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物を迦微とはいうなり(『古事記伝』一の巻)

「すぐれたること」のある「かしこきもの」を「かみ」というのである。「かしこき」は、先に書いたタミル語本来の意味である。では「かしこきもの」の「もの」とは何か。世界のすべてはものである。ものほど深く大きいものはない。この世界はものからできている。森羅万象、すべてはものである。これが世界である。

ものは存在し、たがいに響きあっている。その有様を「こと」という。ものはことを内容として生成変転する。人はものの意味を聞きとり「こと」としてつかむ。人が、ものを、相互に関連する意味あるもののあつまりとしてつかむとき、そのつかんだ内容を「こと」と言う。本居宣長は「すぐれたること」のある「もの」として神を定義した。「すぐれたること」の内容をいま少し深めよう。

世界はいきいきと輝き運動を続けている。人もまたこの世界のなかでいっとき輝きそして生を終えてものにかえる。そのいっときを「いのちある」ときという。いのちあるとき、それを生きるという。人の生きる場を結ぶもの、つまり「もの、いき、こと」といういのちをなりたたせる働きそのもの、それが日本語の「神」である。この「いのちの不思議」に出会ったとき、それをなりたたせるものとしての神のはたらきを「すぐれたること」として、実感する。

神は「かしこき」もの、恐ろしいものである。雷(カミナリ)はまさに神の「鳴り」であり、「成り」であり、怒れる神であった。そしてこの神に、「はらへ」によって穢れをのぞくことを祈り、「まつり」によって豊穣を祈る。人は心に願うことがかなうように神に祈る。心から祈るとき「すぐれたること」のある神は、その願いをかなえる。人が生きることとは、ものに思いをかけ、そのもののことを考え、願いがかなうように神に祈り、人生を動かしていくことである。

いのちあるものとしての人は世界からものを受けとり生きる。それがはたらくということであり、その場でこそもっともいのちが響きあい輝く。人と人はことをわりあい力をあわせてはたらく。人は心から語らい協働することで人になる。

聖書のヨハネ福音書の冒頭は「はじめに言葉あり」である。「logos」は「言葉」と訳されているが、これは「こと」そのものである。西洋語では、ことが先にありそのもとでものが作られると、この世界をとらえる。ここから出てくる「もの」は物質と精神と二分する物質である。日本語はそれとはまったく異なる。このような二分法ではない。ものは実に広く深い。この深く広いものを日本語は「もの」という一つの言葉でとらえる。この意義を吟味し、ここに蓄えられた先人の智慧に注目しよう。同時に、「はじめにことあり」とする西洋の智慧もまた尊重しよう。

この世がものよりできていて、この宇宙があり、そして地球があることの不思議。さらにそこにいのちが生まれ、人が現れたことの不思議。これをむすぶもの、それが神である。そして、神道とは何よりこのような、神との語らいとその人の行いであり、そのゆえに「道」なのである。働くものは、いのちのはたらきとして耕し、ものの世界から糧を受けとる。神道とはこの日々の生産活動の不思議への畏怖と、その生産に携わりつつ生きてきた先人の智慧であり、その実践に他ならない。生産の不思議を聴きとり、語らい、畏怖をもって祈ること、これが神道である。

個々の人間は、言葉を身につけることで、この智慧を受け継ぎ人間としての考える力を獲得し、そして成長する。成長の過程で身につけた言葉は、その人の考える力の土台である。神道とは、言葉に蓄えられてきた智慧を時代の求めに応じてとりだし、明らかにすることそのものである。

このように考えるならば、それぞれの言葉は、その言葉の仕組みを通してこの世界の不思議をとらえる。よって、それぞれの言葉にはそれぞれの神とその神の道たる神道がある。日本神道とは日本語の神道のことである。今日の問題に即して日本神道の教えるところは次のようなことであろう。

第一に、ものはみな共生しなければならない。金儲けを第一に運転するかぎり原発はかならずいのちを侵す。すべからく廃炉にする。第二に、ものみな循環する。拡大しなければ存続し得ない現代の資本主義は終焉する。経済第一から人間第一へ転換し、経済を人の共生のために使いこなすのである。第三に、人間は資源ではない。今日の日本の教育行政は、ますます人間を金儲けの資源とする方向ですすんでいる。教育は一人一人を人として育てる。そうして現れた人間のさまざまな力は、けっして個人の私物ではない。人を育て、人に支えられる世でなければならない。

これが日本神道の教えるところである。しかし、今日の日本政治がやっていることは、これと真逆のものである。この政府とその背後にあるもの達は、神道を語りながら神道に背いている。国家神道は神道ではない。その真逆のものである。人は神の言葉を聞くのであるが、しかし人そのものが神であるという考えは、近代の国家神道を除いて、一切なかった。

かつて民俗学者の折口信夫は、天皇の「人間宣言」を受け、実は古代から天皇は人間であったということを語っている。現人神の否定である。折口は戦前戦後を通じて天皇が神であるという考え方はとらなかった。それは民俗学の良心である。昭和二十二年、神社本庁創立一周年記念の講演「民族教から人類教へ」において、「これからの神道は天皇・宮廷から解放され、民族宗教からより普遍的な宗教へと成熟していく「希望」のなかにある」ということを言っている。この講演を聞いた神社関係者の多くは本庁の評議員に抗議したが、神社本庁当局は「この折口学説は、一参考に過ぎず、神社本庁がこの説を公認するものではない」と釈明を行い、以降、神社本庁の主流は、折口学説とはまったく異なる方向に進む。そしてそれが今日の安倍政治の背景である。

日本神道に背いた神社本庁と日本会議は、いずれ神の大きな怒りにふれるであろう。同時に、このような政治を許してきたわれわれもまた、神の怒りに正面から向きあわなければならない。