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■ 安倍の手法、ナチスの手法 17/05/04

安倍が2020年のに改変憲法の施行をめざすことを表明した。問題はこれが教育無償化と一体で出てきたことである。なぜいま教育無償化なのだ、と思った人も多いだろう。OECD各国の一般政府総支出に占める公財政教育支出の割合で、日本は第30位でほぼ最低水準である。日本は教育費の公的負担の少ないことにおいて突出している国なのである。それがこの間、ますますひどくなってきている。キューバはもうずいぶん前から医療費と教育費が無償である。それからすれば日本ははるかに遅れた国である。であるから、教育の無償化が本当に必要などと考えるなら、現憲法のなかでなすべきこと、できることはいくらもあるのである。

ではなぜ、憲法9条の改変に合わせて教育無償化を持ち出してきたのか。それには前例がある。国会放火事件をでっち上げて、ナチス・ドイツとヒトラーが権力を掌握したとき、掲げた政策のなかに完全雇用を加えたのである。当時、失業率は40%に達しようとしていたが、全国の道路整備や住宅政策を通して、雇用を増やしていった。一方でそれがあるから、その層の支持のもと、ヒトラーはファシズム政治を推し進めることができたのである。

ファシズムはその政策ののなかに、そのとき切実で大衆的な支持が得られる項目を入れる。いま教育の私費負担の大きさに困難を抱える人や、大学学費のために借りた金の返済にあえぐ若い人らが、「教育無償化、それはいいことだ」と、憲法改変に賛成することを狙っている。ナチスの手法にならった安倍の手法である。 ドイツは結局ヒトラーのもと破局に至る。そして第一次世界大戦での破局とあわせて二度の敗北を経験し、さらに戦後は国家の分裂とそして再統一も経験し、ようやくに脱原発を国是とするに至る。愚かなことは二度経験しないと歴史の教訓として定着しないというのは私の説であるが、まさに二度の経験を経ていまのドイツがある。もとよりドイツもまたEU問題や移民問題をかかえ、格差も広がり、排外主義も一定の勢力を持つ。それでも森友問題があのように展開してなおかつ首相が居直れるということは、ドイツでは考えられない。

我々にとって先の敗戦につぐ二度めの経験は、福島原発核惨事であり、ここから教訓を得なければならなかったのだが、逆に支配者はこれをショック・ドクトリンとしてテコに使い、秘密保護法、戦争法、共謀罪法とファシズムを進めてきた。この先もう一度、ドイツの二度めの経験に相当する敗北を経なければならないのかもしれない。しかしそれは、孫子の代にあまりに大きな負担を強いることになる。安倍が2020年という年限をいったので、これからの二、三年が二つの方向のいずれに進むのかの分水嶺である。