玄関>転換期の論考

■ 核炉崩壊以降 19/12/09

 われわれは今、福島の核炉の崩壊にはじまる核惨事の歴史のなかに生きている。この時代区分は、千年は続くであろうと考えられる。しかしそのことを覆いかくし、終わったことにする勢力が今の日本を支配している。これはまた原発マフィアと呼ばれる国際的な金融資本の支配でもある。

 いわゆる「桜を見る会」疑獄について、アベ政治は国会での追究を振り切り、12月9日で国会は閉会する。一方、「日本国とアメリカ合衆国との間の貿易協定の締結について承認を求めるの件」「デジタル貿易に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件」の二つの日米貿易協定に関する承認案は両院を通過し、12月4日国会で承認された。貿易協定は来年1月1日に発効する。与党も野党もなく一体でこのアベ政治を行っている.それが事実である。
 資本主義がこれ以上拡大し得ない中で、国際資本が日本から取れるだけのものを奪い取ることを、日本側自身が認める協定である。日本の官僚は、日本の利益で動いているのではない。アメリカ資本のまさに悪代官なのである。植民地の現地政府、それがアベ政治の意味である。かつての植民地支配を総括しない日本は、アメリカの日本への植民地支配にも無自覚である。この事実から目を背ける野党もまた悪代官の手先である。
 しかし、そんな一方的な収奪には限度がある。奪われるだけ奪われたあげくに、日本は没落し、そしてそこから日本発の世界恐慌となる。その結果、国際資本自体が大きな打撃を受ける。資本主義そのものが問われる。そこまでいかないと何も変わらないのか。

 8日の土曜日は梅田解放区であった。いわゆる活動家の人が喋るのではなく、このままでは自分たちが生きてゆくことさえ危ないと知った若者が、ここに来て声をあげる。今の世においてこのつながりはたいせつである。
 9日の午後2時から4時まで、大阪北の関電前で行われた「老朽原発動かすな!関電包囲大集会」に参加。各地からリーレーで歩いてきた人らが報告する。老朽原発を動かすなどとんでもないとたくさん集まってきた。福島から母子避難されている方の訴えは切実であった。知りあいがたくさん来ていた。梅田解放区で一緒になる人らもたくさん出会った。昔の解法教育運動の仲間にも出会った。参加者は1100名とのこと。寒い中を2時間、みな発言に聞き入る。そして関電に向かって声をあげる。核惨事の続く歴史と向きあい生きていることを思う。
 関西電力は来年の2020年、45?43年超えの老朽原発である高浜1・2号機や美浜3号機の再稼働を画策している。どこまで愚かなのか。原発の再稼働はまさにアベ政治である。

 9年前に福島原発の核炉が東日本大震災で崩壊した。それ以降の日本は、これを天の声と聞き、変わらねばならなかった。近代の世のあり方を問い返さねばならなかった。しかし、それどころか、これをいわゆるショックドクトリンとして利用し、民主党から政権を奪いかえし、そして国際資本に日本を売り尽くす悪代官の政治がおおっぴらになされてきた。それがアベ政治である。
 戦後の日本政治は、核兵器では「核」を使い、原子力発電では「原子力」を使う。ともに同じ原理であることを覆いかくし、原子力発電を核兵器とは違うように見せるためである。これが続いてきた。私はすべて「核」で揃える。
 集会で会ったUさんから、次の本は準備しているのか、と聞かれた。

   核炉崩壊以降の日本について掘り下げる。政治権力の問題と人民内部の問題とその両面から考察する。
   さらにアベ政治に至る根なし草近代のこの150年の世のあり方を問う。教育の形とその意味も考える。
   それが、日本の固有の問題であるとともに、今日においては、世界大の普遍的問題であることを明らかにする。
   そのうえで、日本の経験をもとに、これからの道を考える。

 これだけはしたい。これはくる年の私の課題である。

 これを踏まえて、『核炉崩壊以降』と題する一連の思索の表題を考えた。

副題:核惨事を痛恨の教訓にして新たな歴史を拓き耕す
第1章 核炉崩壊以降の日本
 政治規範の崩壊
 抵抗と闘いの場
第2章 根なし草の日本近代
 近代の世の諸相
 根なし近代造語
 近代の成れの果
第3章 問題は普遍性をもつ
 資本主義の歴史
 新自由主義とは
 固有性と普遍性
第4章 扉を開け進むために
 根拠を共に問う
 固有の場と連帯

 力およばずまだまだであるが、この日のいろいろな発言を聞きながら、できるところまではやろうと思った次第である。