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新石器革命

火と言葉について

火は世界の輝きであり、いのちのあかしである。人は火を自らのものにした。人間が社会を形成する生物となるうえに、火と言葉の獲得は決定的であった。火の獲得は、人をして協同して自然からさちを得る生命とし、この協同の労働が言葉の源となった。まさに、人にとって火は根元的なエネルギーであり、言葉は本質的な方法である。人間は、火という根元的なエネルギーを獲得し、言葉という方法を獲得することによって、はじめて人間となった。火と言葉の獲得は人をして人間たらしめる本質的なものであった。

個体から見たこの発展は、一定の範囲の人が互いに協力して、協同の力で自然に働きかけ、生命を維持し、個体を再生産する生物となった、ということである。人は、長い時をかけて、道具と言葉という手段によって共に働くことを組織する生物へと、発展していった。この段階になるともう新人・クロマニヨン人とよばれるようなホモ・サピエンスであり、生産関係というものが家畜と作物をつくりだすことによってはっきりと形を成していった。

新石器時代の革命

新しい道具の改良には、「ものに思いを寄せそのもののことを考える」という行為があった。道具の製作は少なくとも、初歩的労働と技術(技能)との素朴なありかたが関係して生じた。労働の喜び、つまりは人間が宇宙と協同して物質代謝を行う生命の本源的な喜びが生れた。考えるということのうちには型を認識し型の関係を認識する法則的認識が、加わっている。それらの伝達もなされた。こうした知能の発達が道具を介することで強められながら起った。このように、人間どうしの結びつきである相互の意思伝達が道具を協同で使用するころで強められ、言葉が生まれ、言葉で考えることが育ち、こころが大きく広がった。道具が発達した時期、旧人・ネアンデルタール(ホモ・ネアンデルタールシス)から、新人・クロマニヨン(ホモ・サピエンス)という旧人から新人への過程では、人間のいわゆる精神文明のきざしが、言語の起源に集約されて生じてきた。

統語法は人間の計画性と密接に関連し、飼育や農耕の開始を土台としていることはまちがいない。生きるために世界に対して働きかけたとき、世界がどのような仕組みなっているかということが意識にのぼった。世界におけるものの配置の理解が、分節された言葉の配置を定めた。世界の仕組みの根本は「生命」である。「生命」をどのように言葉に組み込むかが、言葉の特徴を定め、言葉によって組織される人間の関係の特徴を定めた。分節言語の獲得は、意識が「世界があるあり方の分節」をとらえることと言語の発展とが相互に結びついて、なされたことはまちがいない。

人類が完全に食物連鎖から自由になったのは、歴史的にはネアンデルタールの段階であった。その際は以前の採集者の能力も備えつづけていた。さらに超捕食者としての位置を保ったまま、こんどは新しい食物連鎖をつくり、みずからの手で生物の世界をつくりだしてきた。自然界からものを得る生物ではなく、人が協同して生き物を育ててそこからものを得るようになった。それがまた人とひとの間の関係をつくり出し、こうして人類ははじめて自然を基礎に生産関係にもとづく生物の世界を人為的につくりだした。そういう意味において人類進化史上もっとも画期的な人間化の時代は、ホモ・サピエンス、つまりクロマニヨンの時代だった。生態的に見ると、基本的にはこの家畜と作物の成立の時代において、人間の「世界」というものが成立した。

この革命を、そこで用いられた道具から新石器革命と呼ぶ。新石器革命は、人間の歴史にとってもっとも根元的な革命であった。人間はこのときはじめて「組織する」ということをはじめた。それはそこに至る長い長い言葉と言葉による協同労働の過渡期があって、実現した。革命の実質はまさに「組織する」ことであった。その契機は牧畜と農耕の開始である。

社会の成立

これが人類史の画期「新石器革命」の内実であり、これによってはじめて人の世としての社会が成立する。人がそのままの世界との間でものの交換をおこなう長い過程を経て、人が協同労働してまわりの世界をつくりかえ、「人の世界」に組み込むことをとおして、この段階に至った。つまり世界を改造し人間の「世界」を作りあげることによって、社会は成立した。

生命が地球上に誕生してから35億年経過した、今から1万2000年前頃に、こうして人類の歴史は新しい段階に入った。人間社会の成立であり、社会的人としての人間の成立である。人間とは、社会的人間であり、人間の登場は、この社会の成立をもって始まる。家族や血縁という生物的な構造を越えて、内部構造をもつ社会が成立したのは、言葉が成立することを前提としている。その内部構造が大きく発展し、人類社会が決定的に変化したのは、家畜を飼い農耕をおぼえてからであった。

人は、さちを受けとるだけの存在から、田を耕し、生き物を飼い、ものの世界に働きかけてさちを成るようにする存在へと転化した。このような人間の営みを生産という。そして生産する働きの内実を生産力というこにしよう。しかしここで新たな展開がはじまる。このような生産のはじまりは同時に、さちが受けとった人の手を離れ偏在するようになることでもあった。

人間は、協同労働を通して自然な家族や血縁や地域からなる自然な協同体の内部に分業を作り出した。それらがまた相互に結びつき、長い過渡期を経て自然な協同体をこえた社会を生み出した。人は社会のなかにいることで、世界のなかの自己というものを自覚し、それによって人は自らを人として自覚する。さらに近代になって労働・生命・言葉を本質とするものとして人間が発見された。

「原始共同体社会」は本来の意味での「社会」ではなく、社会に至る過渡期である

この社会は実際には直接の生産に携わるものと、それを支配し協同労働を差配するものに分化した階級社会としてはじめて成立した。いわゆる「原始共産制社会」は、社会成立に向かう過渡期であってそれ自体はまだ社会ではない。言葉は生物種としてのヒトが人になる過程に成立し、社会に向かう過渡期そのものを可能にした。社会において人の人としての自覚が成立した。「組織化」は新石器革命においてはじめてなされた。それが「社会」である。原始共産制「社会」はここにいたる過渡期である。

こうして人間は思想をもって生きる生命体となった。人間自身をその中に含むこの自然は、人間が作りだした人間社会の中のさまざまな関係のもとにくみ込まれていった。地球史から見れば、社会化された生物界、社会生物界の出現である。個別意識の発生、個別意識の発展、個別意識の転換、個と種の意識、といったことが、途方もなく長いときを経て起こっていった。

人間が人間として思想を持つ生命体となったのは社会が成立したことにおいてである。人間社会は階級社会として成立した。原始共産制の段階はまだ社会が成立していない。古代原始共産制は過程である。それは種としての人が社会を形作る過程であり、生物世界から人間世界への発展の過程である。動物しての人間から人間としての人間に転換する過渡期である。生産力とそれに対応した生産関係こそ社会の土台であり、このような社会が成立するときそれは、私有財産を基礎とする階級社会として成立した。その根底には農耕の発展と生産力の発展、私有財産の蓄積と都市の発達、分業と知識人の出現、そこから生まれる科学技術、理論知識、政治思想などの発達があり、これがその時代の人間をとらえ、思想が物質的な力に転化して社会をゆり動かしていった。

したがって、これまでいわば形式的に、『人間はその姿を地球上に現して生産活動と社会生活を営むようになってから現在まで、五つの発展段階を経て、五つの異なる社会制度を生みだしてきた。原始共同体社会、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義社会、である』といわれてきたが、これは正確ではない。「原始共同体社会」は本来の意味での「社会」ではない。生物としての人の集団が「社会」を形成するに至る過程である。

これはくり返し言うべきことである。このゆえに新しい来るべき人類の段階は「新しい社会」であるよりも、「社会そのものを乗りこえる」人間のあり方の創造、を内容としなければならない。これまでの社会主義理論はすべてこのこと取り違えていた。「新しい社会」を作ろうとするかぎりそれは結局階級社会の再編成でしかなかった。社会は階級社会でしかあり得ない以上それは当然だった。20世紀に起こり20世紀に滅んだいわゆる社会主義陣営の、その崩壊の根源もまたここにある。

この社会は階級社会としてはじめて成立した。いわゆる「原始共産制社会」は、社会成立に向かう過渡期であってそれ自体は社会ではない。人間が組織化され社会が生まれたのは新石器革命であって、それ以前はこの社会への過渡期であって,それは厳密な意味での社会はなかった。社会が階級社会でありそれ以外であったことはないのなら、二つの階級というさちを奪うものと奪われるものに分裂したあり方を乗り越えることは,この社会の解体でなければならない。

だがさらに次のことを考えなければならない。

第一、
社会の解体のうえにどのような人間とつながりがあるののか、である。それは先に見た新たな普遍性を支えるものは何かという問いと同じ内容である。それはまだ人類の前に開かれてはいない。また現実の過程なしに机上に開かれることもあり得ない。
第二、
共産主義は運動だというマルクスにあった思想は、その後の歴史のなかでは現実には忘れられた。協同労働の組織体は、長い過渡期のなかで発展し、階級社会が成立したときには国家のもとに編成された。協働体は国家のくびきから解放されてそれ自体としての展開を実現しなければならない。
第三、
そのために、永続した運動を支える言葉を生みださなければならない。その言葉によって新しく協働体をのべなければならない。

すべては開かれた課題である。


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