軍事力が力ではない。大義とその下に団結する人々の力、これが本当の力である。これを欠いた帝国アメリカは衰退過程に入っている。これに対して、第九条は軍事力に頼らない道を示している。物質的繁栄よりも人の尊厳を第一とし、人々の心を一つにした力を背景に道理をもって内外政治をおこなう。生産第一主義、物質万能主義、拝金主義、弱肉強食の世ではなく、人性の豊かさと人の尊厳と人としての連帯と共生、ここに道がある。
これが日本国憲法第九条の精神である。この精神は今こそ新しい。われわれは、帝国アメリカからの真の独立を実現し、その暁には人民自身の手による新たな憲法を生みださなければならない。そのためにも、現在の各場での闘いのなかで、われわが明確な思想としてもつ理念を、磨いてゆかなければならない。
東電核惨事の総括を踏まえて、われわれが依拠すべき理念を、そのたたき台を提示したい。
一方、国家はあくまで手段としての組織である。目的ではない。人々を戦争に駆り立てるとき、その方法として、民族主義の側もまた国家を前面におしだす。戦争は政治の一環であり、国家を手段とする政治であり、その戦争の根底には、この八百年、経済拡大という隠された目的があった。
そしてまた、人は経済のための資源でもない。人を手段や方法、資源とする思想に反対し、人そのものを価値の基礎とする。人の言葉や文化をかぎりなく尊重する。これがこの理念の意味である。
そして、日本の地域・職場の相互扶助である。人々は地域においても職場においても分断されている。人民は協和しなければならない。これを第一として、そのうえで国家のあり方について、議論し共有しうる形態を見出す。
この人のあり方を伝えるために、原発の廃炉や遺伝子組み換え食品の禁止は必要な条件である。農薬もまたそれに頼ることはできない。様々の食品添加物もまた、可能なかぎり使用をおさえる。
かつて、日本の僧、道元は「而今の山水は、古佛の道現成なり。ともに法位に住して、究盡の功徳を成ぜり。」と『正法眼蔵』「山水経」のなかに述べた。この心は今こそ新しい。
われわれは、国家の人、つまりは国民、である以前の人の尊厳とその関係を第一とする。その結果また、戦争という方法を永遠に放棄する。
この原則のもと、変革は一歩一歩である。現実に国家が存在し、われわれもまた国家に属する以上,そして国家間に矛盾と対立がある以上、一定の国家としての防衛力は必要である。したがって,防衛に必要な力のみを保持する。これが第九条の土台にある思想である。
そして、憲法第九条の思想を、日本国にとどめず普遍的な原理とする観点から、外国軍の駐留を、この憲法のおよぶ範囲において一切認めない。
日本語の基層に蓄えられそして伝えられてきた智慧を掘り起こせば、それは次のようにまとめられる。
第一に、人は、たがいに人としての尊厳を認めあい、敬い、いたわりあえ。人のさまざまな力は、けっして私のものではない。世に還してゆかねばならない。人を育て、人に支えられる世を生みださねばならない。今日の日本は、人を金儲けの資源としている。これは神道に背く。
第二に、言葉を慈しめ。人は言葉によって力をあわせて生きてきた。言葉は構造をもつ。新たな言葉は、その構造に根ざして定義されねば意味が定まらない。近代日本の言葉の多くはこの根をもたない。これでは若者の考える力が育たず、学問の底は浅く、言葉が人を動かす力も弱い。もういちど日本語を見直せ。
第三に、ものみな共生しなければならない。いのちあるものは、互いを敬い大切にしなければならない。里と社寺叢林と、そしてそこに生きるものたちを大切にせよ。無言で立つ木々のことを聴け。金儲けを第一に動かすかぎり原発はかならずいのちを侵す。すべからくこれを廃炉にせよ。
第四に、ものみな循環する。使い捨て拡大しなければ存続し得ない現代の資本主義は終焉する。人にとって経済は、さちを得て人として生きるための方法であって、目的ではない。人が人として互いに敬い協働する。人といのちの共生のためにこそ、経済はある。経済が第一のいまの世を、人が第一の世に転換せよ。
第五に、たがいの神道を尊重し、認めあって共生せよ。神のことを聴き、そして話しあえば途はひらける。国家は方法であって目的ではない。戦争をしてはならない。戦争はいのちと日々の暮らしを破壊する。まして戦争で儲けてはならない。専守防衛、戦争放棄、これをかたく守れ。
そしてこれは、日本を越えて世界によびかけることでもある。
世の変革は、言葉の再生を伴わなければ根が浅く、経験が蓄えられず、うわべのものになり、水泡に帰す。言葉の転換と一体となった世の転換が求められている。過去、日本語は何度かの大変転を経てきた。再び新たな転換が求められている。歴史の流れをおさえ、いまこそ、そのときを準備しはじめよう。
根のある地についた変革の思想を育てよ。東電核惨事は、やはり、もういちど人が日本語で生きることができる場を耕すことを求めている。この道を行くしかない。
協働の営みのなかで、ものと言葉を大切にし、温かなつながりを生みだそう。隣人同僚、山河草木、助けあって生きよう。そのところにこそ固有の言葉は育つ。日本語のことわりに根ざした思想を鍛え、新しい生き様を育てよう。