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存在の不安

北原   今もって私は、自分が人であることがわからなくなるときがあります。人を定義するとは、このような人間存在の不安に対し、この問題と対峙し考えぬいたうえでのことでなければなりません。それはできてはいません。

私は若い頃から「存在の不安」としかいいようのない不安を強く感じてきました。何をしているときにも、不意にこの感覚におそわれる瞬間がありました。この世界そのものがそもそもあるのか? という感覚です。そうすると,その他の諸々のことが意味ないように思われるのです.その感覚は今もあります。この世界は本当のところあるのか。ないのではないかという感覚です。

そこに神をおいて、人間は神が作ったものであるという立場に立つことは、問題を一つ深めたことになりますが、「存在の不安」を「神への信仰」に置きかえただけで、問題を引き受けきったとはいえません。神の問題は言葉の構造に規定されて起こってきたようにも考えられます。いずれにせよ、「存在の不安」はそれ自身で考えようとしてきて、「神への信仰」の方向に進むことはありませんでした。

南海   デカルトはこのような探求の末に、不安に感じている自己、無いのではないかと感じている自己そのものは存在する。自己が存在しないのなら、そのような不安すらないはずだ、と考えたのでしょうか。

北原   今言いましたように、言葉が根本的に違うときに、デカルトを追体験すること自体は本質的に難しいです。彼の考えたことを、われわれの問題としてとらえなおし考えることはできますが、それがデカルトの経験であるといえるかどうかはわかりません。ただ、デカルトの省察は、まさに近代的な人間の誕生でした。そのことは、デカルトの追体験という問題を措いても言いうることです。

南海   20世紀中葉になってデカルトと同じフランスのサルトルが実存主義を掲げました。小説『嘔吐』は「存在の不安」の探求です。その不安は、キリスト教の世界観、神はロゴスだという「言葉本質論」の世界観の破れ、その世界観ではもはや現代を生きることはできないといういう不安が背景にあるように思われます。サルトルは「存在(existence)は本質(essence)に先行する」という命題を掲げ、キリスト教の世界観とは異なる道を求めたのです。

北原   しかし、西洋では真理は言葉で表されるし、言葉で表されてことが真理であるという思想が確固として基盤にあります。神はロゴスだという思想です。サルトルは、「言葉本質論」に「言葉本質論」で立ち向かったように思われます。実存主義は神を離れてそのうえで西洋の言葉の世界のなかでいかに生きるかという方法の土台をうち立てようとするように思われます。私はかつでもいくつかサルトルを読みましたが、やはりそこに糸口を見いだすことはできませんでした。

だからといってもちろん、ここで安易に東洋を対置するつもりはありません。

私は、不安に感じている自己自体が不明でした。幻影が幻影を見ているような不安を感じて,自己そのものがあやふやでした。これは論理ではなく身心の感覚です。このままでは「人間として」といっても、あやふやなことになってしまう。青空学園でいろいろやってきましたが、この基本的な疑問は疑問のままでした。

私は党派の活動をしていた時期には、この問題を次のように考えていました。自分の不安がどうのこうのという前に、まず人のために、歴史のために行動するのだ。自分の疑問はあとにおいておけ、ということです。これは、ある面では存在の不安を社会的な実践で乗り越えようとしていたともいえるし、ある面では存在の不安に正面から向きあわず、問題を避けていたともいえます。しかし、それはやはり正しくない。自分の内部からの疑問をおいたままではでききれない。私が党派活動から離れた本当の理由はここにありました。

私の党派としての活動など、ある意味では遊びでしたが、それが変革の行動であった以上、多くの人間に多大の困難の強いてしまいました。それだけに、この経験は自分でまとめなければならないのです。

それからおよそ十年間は,さまざまの実生活の問題を解決するために走ってきたという思いです。いろんな課題はまだそのままですが、ようやく存在の不安という問題に正面から向きあうところに来ました。


AozoraGakuen
2017-02-10