一方、人間はやはり根をもたねばなりません。北原さんが京都北白川で経験されたように、人間は行きづまったとき杜の中のぽっかり空いた空間に坐り、自己を解きはなち、その地で生きてきた人間の無意識の古い記憶につながりながら、新たな人生を生き直してゆく。一方で、そのような場を奪われた現代の悲惨について、その場の人々に思いをよせつつ、悲惨の根拠を考え、そして行動する。その悲惨は枚挙に暇がない。ものに思いをよせ、そのもののことを考え、そしてそのものに即して生きる。
これが根をもつことではないでしょうか。そのような人生を奪われること、これが〈根こぎ〉である。そのような場とそこにおける人生を闘いとること、これが〈根づき〉である。ものごとの根もとにおりていく、これが根源的ということである。
思いをよせ考える言葉は自らが人間である言葉、青空学園でいう固有の言葉によらなければありえません。人間が夢を見るときの言葉でなくして、どうしてものごとの底にまでおりていくことができようかということです。
北原 私は、教育運動から世の変革の運動に入り、組織の専従もしました。しかし、結局それに破れました。このような闘いは、いずれにせよ敗北の連続で、自分がやってきたことがいったんは敗れたこと自体は、それでいいのです。
しかしそれで終わることはできません。労働運動であれ、世の変革の闘いであれ、人間はそのとき手元にある言葉で闘わなければならない。そして闘い終われば総括し、言葉を豊かにしなければならない。それが経験を言葉に蓄え次代に引き継ぐということだ。そのように考えます。
闘いはさまざまに場を移し持続しなければなりません。革命は永続です。それはしかし単に続ければいいということではない。人間の営みとして蓄積されるためには、言葉が豊かになることを伴わなければならない。量の蓄積が質に転化するとはよく言われることですが、経験の蓄積は言葉です。その言葉は、人民の経験とならなければならない。そのためには闘いの過程での言葉が根のあるものでなければならない。
一言でいえば、変革の思想は根をもたねばならない、ということです。では、それはいかにして可能か。それはまさに、人間としてというところに立ちかえって、言葉を意識し磨きながら考えるしかないというとです。
最近、この問題に関係する鶴見俊輔さんの発言に出会いました。
『無根のナショナリズムを超えて 竹内好を再考する』(鶴見俊輔 加々美光行/日本評論社 2007/07)のなかで鶴見俊輔さんが次のようにいっておられます。
日本の知識人は欧米の学術をそのまま直訳していて、日本語のように見えますが、実はヨーロッパ語です。それをよくわかっていないのです。そういうものとして操作しているので、根がないのです。しかし、日本語そのものは二千年の長さをもっています。万葉集から風土記から来ている大変なものなのです。万葉集を読んで聞いてわかるのですから。イギリス語、フランス語より深い歴史をもっています。今もそれは生きているのです。この古い言語の意味に、さらにくっついている魑魅魍魎も全部引き受けて、何とか交換する場をつくりたい、それが竹内好の言語の理想です。なぜ、それを生かさないのでしょうか。そこに日本の知識人が行っている平和運動とか、反戦運動がすぐにあがってしまう理由がある、という感じがします。そこが面白くありません。
鶴見さんが問題にしていることは、青空学園をはじめた私の最初の問題意識と同じです。私は党派活動の実践において破れました。しかし、いろんな失敗や試行錯誤は不可避です。私はマルクス主義そのものにおいて敗れたとは考えていません。マルクス主義や社会主義・共産主義は、新自由主義が峠を下りはじめた現代こそ、より切実な思想であると考えています。それをどのように現代において受け継ぐのかはまったく開かれた問題であるのですが。それだけに実践の総括の一つとして「日本の知識人が行っている平和運動とか、反戦運動がすぐにあがってしまう理由がある」は痛切なものであるのです。
根のある変革思想を、という私の呼びかけは、この経験に根拠をもっています。日常語を洗練し、抽象し、意味を再定義し、思想の言葉として育てていく、これをしなければ日本語とその世界に次の時代はないということです。ところが近代日本の学術の言葉は、このように根のある言葉をとりあげて掘りさげ意味を広げ、また深めるという方向にはなされませんでした。それにしても、鶴見さんにこれだけのことを言われてなぜ大学人は黙っているのか。自分の言葉が日本語だというのなら反論し、議論すべきです。それがなされないところにこそ、問題があるといわなければなりません。
南海 本当に自分で考えぬいた人は、身についた自分自身の言葉で語ります。またそのことによって、言葉が豊かになり、言葉に人間の営みが蓄えられ、次の人が考える土台となります。
しかし、日本語世界の学術の場では、こなれない西洋語の漢語訳で語っていたり、それもせず音のままで使っていて、世の言葉とは断絶しています。家人が社会人入試で大学院に入り、心理学を研究していますが、教官の多くは自分の言葉ではしゃべっていないし、翻訳語やカタカナ学術語の意味を問うても、自分の言葉で答えられる教官はほんの少ししかいないといっていました。
北原 人間としての深まりと言葉としての掘り下げが一体となったときに、はじめて一人一人の営みが、深く共有されます。それが人間の言葉というものだ。その確信を裏付けていたのは、自分自身の言葉に対する直感というか、信念でした。それは次の命題にまとめられます。
「固有の言葉」という考え方自体が近代の産物です。それはわかっています。しかしまた近代日本語ではその固有の言葉がまったくないがしろにされてきたことも事実なのです。このとき、日本語のなかから長い時をたえてきた言葉をもう一度とりだし、ことわりの言葉として生かしていくことが大切だと考えました。