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ともに受ける

北原   民の言葉こそが本当の「こと」である。つまり「まこと(真言)」である。その根拠は「民」が働く人であり、実際に自然と交わる人であり、人間が存在する形そのものの人だからである。

民についてもう少し考えを進めたい。民[tami]は万葉集にも出る古い言葉であるが、 田-人(臣)[ta-omi]から来ているのではないかと思われる。田で働くものをいう言葉である。

「田」とは何か。「耕す」とは何か。構造日本語定義集では次のように書きました。


【た】[ta(田)]

■[ta]は「たから(宝)」、「たかい(高い)」、「たかい(貴い)」などとともに、[tak]を共通にする。[tak]は「得難い立派な」を意味した。

□タミル語<tamp-al>が「田んぼ[tamb-o]」になり、 また、タミル語の語根[tamp-]から末尾の[mp]が脱落して[ta]となる(大野『日本語の起源』)。

「田んぼ」は泥田、水田を指す。紀元前九〜十世紀の頃、タミル人が日本列島にもちこんだ技術である。稲作そのものは縄文時代から行われていた。タミル人がもちこんだのは技術としての水田耕作である。栽培されたいなそのものは在来種であったかも知れない。

水田でない耕作地は「畑[fat-a]]というが、後に「田」は乾田も意味するようになった。

◇『古事記』中・歌謡「なづきの多(タ)の稲幹(いながら)に、稲幹に匍ひ廻ろふ 野老蔓(ところづら)」 ◇『万葉集』二・八八「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつ辺の方に我が恋ひ止まむ<磐姫皇后>」 ◇『源氏物語』若菜上「この家をば寺になし、あたりの田などのようの物は、みな、その寺のことにしおきて」

▼金銀・珠玉などの貴重な品。大切な財物。宝物。 ◇『万葉集』八〇三「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる多可良(タカラ)子にしかめやも」 ◇『竹取物語』「宝と見えうるはしき事ならぶべき物なし」 ◇『竹取物語』「左大臣あべのむらじはたからゆたかに家ひろき人にておはしける」 ◇『小説神髄』坪内逍遙「たれかあまたの貨(たから)をすて演劇(しばゐ)観むと望むべきや」


【たがやす(耕す)】[tagayasu]←[takaesu]

◆「もの」のできる「場」である「田」を「返す」ことによって、ものがなるようにすること。「たかへす」が古形、「田を返す」から来る。

▼作物を作るために田畑を掘り起こし、すき返して土を柔らかにする。 ◇『今昔物語』「桑田といふは、たかへしおわりて未だ下ろさざる(種をまかない)をいふなり ◇新撰字鏡「冀 耕也 田加戸須」 ◇『お伽草子』二十四孝「かれが孝行を感じて、大象が来って、田をたがやし」

※人間の営みとは、場を耕すことによってものが成るようにする、ことである。人間は「もの」を直接には作らない。「田」を返すことによって豊に「なる」ようにする。「耕す・人」と「場の・田」とそして「そこになる・もの」の三者の相互関係が労働、ひいては人間の営みの基本的な型である。


民とは「耕す人」なのです。さらにまた民は問う人でもあります。

自己とは何か。世界とは要するに何なのか。いのちとは何かか。自己のいのち、いのちの深まり。ひとりひとりのいのちと、大いなるいのちは、どのようにつながるのか。問いをかかえて、人はどう生きるか。人生の意味はどこにあるのか。人は自己のために生きるのか。人のために生きるのか。

まず問うことである。問える人になることである。問うことが人としての自立の一歩である。

現在を転じることは出来るのか。不安、有限、死、世界の無意味を越える道はあるのか。そもそもなぜ越えねばならないのか。さらにまた、この輝きの覆われた世界の現実を転換することは可能なのか。

人間がかかえてきた存在の不安と、今日の世界の閉塞とは、どのようにつながっているのか。あるいは別々のことなのか。宗教の経験、社会主義の経験はいかに生かされうるのか。問いがあることは転換が求められていることではないのか。必要性は可能性の根拠ではないのか。あたらしい智慧、あたらしい枠組みは可能なのか。

さらにまた、民はまた聴く人でもあります。

人間が生きていくのは、実に難しい。多くの悔恨と苦しみをかかえていかなければならない。それが人生というものである。人間の歴史はこのような苦しみの連続であった。いつの世も、一部の人間にのみ都合よく大多数の人間には苦しみの連続であった。また、なぜ自分にこんな理不尽なことが起こるのか。何か悪いことをしたというのか。こんなこともまた、つねにあり得る。

一方、人間はその本性として「人間としてよく生きたい」と願う。価値ある人生を実現したいと考える。しかしまた、「自分は何の価値もなく、いてもいなくてもいい人間だ」と思いこみ、引きこもったりあるいは自死したりする人がいる。これは大変難しいことであるのだが、他の縁ある人から見て、なくてはならないその人の意義というのは、じつは己を空しくして人のために尽くそうとするなかでしか実現しない。「自分は価値のない人間だ」と考えることのなかには、未だ自己への執着がある。

現在の市場経済の下で支配的な考え方の枠組みは、自己に執着し、この世の中で成功することを価値あることとする。しかし、それは今の一時の価値観に過ぎない。本来人は言葉によって協同して働く命であり、その本性からして、「人のために」と考えて生きるところにこそ意義が生まれる生命である。

人間が考えるということは、結局はいかに生きるかを考えることだ。人間は、自らの仕事として何かをしようとする。何をなすべきかを知らんがために考える。考えたことを次に伝えていく。今日が転換を準備するときであることはまちがいない。ならばやはりこれしかないではないか。言葉によって言葉の限界にいたり、越えよ。無限の向上、ここに人生がある。

人間の存在は、大いなるいのちとしての大海に現れたひとりひとりのいのちのとしてのさざ波のような面がある。縁によって起こり、また消えまた起こる。しかしこのさざ波はかぎりなく貴い。さざ波の一つ一つがかぎりなく貴いのはそれが大海のさざ波だからである。大海のいのちの事実であるがゆえに貴いのではないか。

問いを立てること自体は、世界を言葉でつかもうとすることであるかもしれない。分節はあくまで切り取ってつかむためのものであり、切り取るという営為によってつかめることは本体の影にすぎないかもしれない。分節される以前のこの大いなることを直接につかむことが出来るのか。その道への問いかけをつねに考えていなければならない。分節することは、この大海をいろんな側面から見ることなのではないのか。大海を自覚すること、あるいはこの大海を分節することなくそのまま飲むこと、その道があるのかないのか。

この大海をいまは「大いなること」といおう。すべてはこの大いなることのうちにある。生も死もすべてはこのことそのものである。ここに心を落ち着けよ。それはかぎりなく懐かしい。このような智が人には備わっている、といえるか。

南海   「大いなること」というのはよくわかることですが、しかしまたいささか未熟な言葉でもあります。ただ、目先の経済ではないことをめざそうということはそのとおりです

人間は近代にはいるまで、カネ以外のことに価値をおいて生きてきました。経済は手段であり方法に過ぎないことをわきまえていました。今日のように何もかもカネの世界になったのはそんなに古いことではありません。

北原   新石器革命のときから、人はこの大いなることを忘れ、このことから離れた日々を送ってきた。しかしまた一万年の変化転移を生み出してきたのもこのことである。このことを無意識に閉じこめ日々を過ごしてきた。そして階級が生まれ、社会が生まれ、資本主義が生まれ、そしてそれは今日行き詰まっている。

このこと、それは悲であり、いのちであり、一つである。人は懐かしさとして、このことに向きあってきた。このこととわれらを結ぶのが悲の風である。このことからあふれ出た仏教は、現実に存在するやつねにこの世を支える俗に堕してきた。

今、言葉に出来ることは少ない。だが、この大いなることのうちにあって、分節しつつ大いなることを指し示す、そのような言葉を生み出してゆきたい。近代の壁を越える道はここにはじまるのではないか。

南海   なるほど。しかし問題は大きいです。せめて問題意識を共有する人の輪ができればと思います。

北原   人はいのちとして働き、ものと語らい、ものから生きる糧(かて)としての「さち」を受けとる。「海の幸」「山の幸」の「さち」であり、世界が人に贈るもののことである。「さち」もまた三つの側面をもつ。


【さち(矢、幸)】[sati]

■「サツ(矢)」[satu]の転。

◆矢という道具のもつ獲物を捕る威力、霊力。

▼狩りや漁の道具。弓矢や釣針。 ◇『古事記』上「火遠理命、其の兄火照命に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて」 ◇『日本書紀』神代「兄火闌降命(ほのすそりのみこと)自らに海幸有(ま)します」

▽漁や狩の物の多いこと。また、その獲物。 ◇『日本書紀』神代「海に入(のぞ)みて魚を釣る。倶に幸を得ず」 ◇海の幸、山の幸

▼幸福をいう。 ◇『常陸風土記』多珂「同(とも)に祥福<俗語に佐知(サチ)と云ふ>を争へり」 ◇「幸あれと祈る」


南海   「さち」の古い言葉です。構造語というよりはもっと古い言葉かも知れません。

北原   構造日本語はタミル語に由来する言葉が多いのですが、「さち」はそれより古く、おそらく縄文時代からあった言葉ではないかといわれています。この言葉を生かすことで、現代の生産というものを少しことなる観点から見ることができるのではないか。

第一
人はものと係わり、もののことをわり、世界から生きる糧を得る。それが人のいのちのはたらきである。糧を得るそのちからが「さち」である。人々は心を一つにして一心不乱に働き、さちの力をその身に得る。田畑、山野、海原、工場、商店、学校等のあらゆる場において、耕す。そのとき世界は人々に豊かなものを贈り届ける。さちは何よりちからであり、働きである。
第二
「さち」は、そのちからによって得られた糧そのものでもある。海の幸、山の幸、自然のめぐみ、このような直接贈られたものも「さち」なら、すべての作られたものもまた「さち」である。人がことをわり、そして贈られたすべてのものが「さち」である。命そのものとしてのたま(魂)が、見えないところにこもり、新しいものが現れるように、蚕が蛹から孵るように、稲穂が実るように、それまではなかったものが現れる。耕すことによっていのちがこもり、はじめてさちは「なる」。
第三
「さち」を受けとる働き、それが人が世界に生きてあることの姿であり、世界の輝き、世界の響きあいそのものである。人はこのさちを、協同して働くことによって受けとる。さちを得て生きること、これが人がこの世界で生きることそのものであり、その実現は人の人たるゆえんの実現である。さちを受けとるとき、人は幸いである。それが人のいのちの輝きである。「幸い」とは、ものが成るはたらきが頂点に達し、内から外に形を開き、いのちのはたらきが盛んな様そのものである。

働くことは耕すことである。耕すのはなにも田や畑だけではない。職人がたくみに工芸するのも、旋盤工が職人技を見せるのも、自動制御の流れ作業のなかにおいても、やはりそこには耕す作業がある。人に教える仕事もまた、耕すことである。耕せば耕すだけ、必ずさちは人のものとなる。働くよろこびであり、生き甲斐である。さちはこのように本来、人に幸いをもたらす。

南海   ところが資本主義はそうではない。それはそのとおりです。それはさちという言葉がとらえた人間のあり方をおしつぶす。しかし、われわれは原始共産の時代に戻ることはできない。

北原   よく「原始共産制社会」といわれますが、原始共産の時代に社会はまだ形成されていない。社会は原始共産お次の段階、つまり新石器革命によって生産力が飛躍し、その結果さちを独占するものと働くこと自体が求められるものとに分裂していった。階級社会のはじまりです。このとき社会もまた形成されたのです。

社会とは階級社会でありそれ以外にありません。ですから、原始共産に戻るなどはできようがないのです。一方、資本主義は本質的にいって2008年秋の恐慌以来もはやこのままでは立ちいかないところに来ています。ですからやはりかつて人びとが暮らしていた人間のあり方は、現在する言葉のなかでとらえておきたいのです。

今日の世界の事実は、人は働いても「さち」を自らの手にすることはできず、働くことと人の「幸い」は切り離されている。そうではないでしょうか。

人が得た「さち」はそのまま人のものになるのではない。今日の世界は、人が働いて得る「さち」を奪い、同時に豊かにさちを生みだす環境を破壊する。奪われたさちは集められ富となる。富を得るものはますます富み、奪われるものはますます奪われ、奪いつくされる。そうすることでますます富を偏在させる。

人間の働く力は、人間が生まれ出たものの世界から人間に贈られた力である。この力が今日の社会では労働力という一つの商品になっている。今日の資本主義の世界ではすべてが商品であり、商品でないものはない。労働力も商品である。この商品は、働くものが今日の社会で働らくものとしての自己と家族が命をつなげるだけの貨幣と交換される。労働力がものから受けとるさち、つまり労働が生みだす価値はそれよりもはるかに大きいのにも係わらず、かろうじて生きるだけの対価しか得ることはできない。それを超えるものはこの労働力を買い入れた資本家のものとなる。

富は再び生産を組織するために使われるとき「資本」となる。

第一
さちは人から奪われ別に蓄えられ「資本」として再び働きの場に戻る。しかしこのとき、その働きは最早人の働きではなく、さちを奪うための生産組織のなかに組み込まれた働きである。働く人にはその人が生きるだけのものが「貨幣」として与えられる。それよりもはるかに豊かなさちを生みだしたのに、それは人を豊かにしない。資本主義のもとにあるのは「さち」を受けとる力としての「労働力」である。「労働力」は売り買いされる。その人がかろうじて生きるだけの価格でなされる。人は、それよりはるかに豊かな「さち」を受けとるのにそれは資本に横取りされる。
第二
こうして、さちを人から奪い、「資本」を増やすことを第一とする制度、それが資本主義である。資本主義は協同して働く人を個別に切り離す。切り離して「さち」を奪う。本来、協同してははたらきさちを受けとることは世界の輝きであり、人が人間であるあかしであった。しかし、資本主義のもとでこの輝きは覆われている。職があればあったで働くことは苦しみであり、職を失えば失ったでたちまち路頭に迷う。これが現代の労働の真実の姿である。
第三
今日世界は、さちを奪い資本を増殖させますます肥え太る世界と、さちを奪われますますやせ細る世界とに、完全に二分された。さちを奪い資本として蓄えることを実現する基礎は、遠く新石器革命にさかのぼる。そのとき、さちを奪い操って増やす側の人間と、さちを生みだす働きに従いながら、それを奪われる側の人間との分裂がはじまった。だがそのあり方はもはやこれ以上続けることができないところに至っている。

南海   いちどはこの世界に社会主義が実現し、そして社会主義はキューバを除いて崩壊しました。体制として崩壊したところもあれば、中国のように内容において資本主義になってしまったところがあります。

北原   社会主義の崩壊をどのように考えるのかは、今こそ大切です。

今日、資本主義はその本質としてますます人間を動物に退化させ汚濁と腐敗にまみれている。このような資本主義に対して、「真に平等で万人が人間としての本質を実現していくことのできる新しい社会」に向かって一歩前へ進んだのが、ロシア十月社会主義革命でした。全世界の搾取され貧困にあえぐ人びと、抑圧されている民族の未来を確実にきりひらいた。

だが二十世紀後半に至り、ロシア革命や中国革命は崩壊した。社会主義陣営は崩壊してしまった。が、人間の尊厳という人間に固有の本質があるかぎり、人類史がその歩みを止めることはない。なぜロシア十月社会主義革命がかけた新しい段階への橋は崩壊したのか。それは人類史にいかなる問題を提起しているのか。

資本主義はしぶとかった。資本主義の思想と闘うのに、レーニンの残した資産だけでは、不十分であった。しかしそれは当然である。レーニンにすべてを準備することなどできない。社会主義政権の修正主義による内部から解体と闘うことは、レーニンの時代の課題ではなかった。したがって、歴史の課題という観点からみれば、たとえレーニンの方法が、修正ブルジョア思想によって解体された結果としての現代の修正主義と闘うに不十分であったとしても、原則を失わずにレーニンを継承し乗りこえることは可能であったし、またなさねばならぬことであった。だがそれはなされず、結果として、いわゆる社会主義陣営はすべからく崩壊した。

長い人類の歴史のなかで、階級社会から社会主義を経て共産主義へ至る転換ほど根本的なものはない。それは新石器革命と対になった根元的な革命である。このような転換期は、すべての人間に、それぞれの条件のなかで、ものごとを根源的に考え実践することを要求する。

この転換は、これまでの生物期のように、偶然による試行錯誤のなかから淘汰され道を見出すという方法でなされたり、人間期のように生産力の発展が意識するとしないにかかわらず人間の歴史発展の原動力であるという方法でなされるのではない。

われわれはそれでも、人間の目的意識的な営みを信頼する。この目的意識性は、マルクスによって現実のものとされた。マルクスが到達した段階を清算するのではなく、引き継ぎ超えていかなければならない。人間は社会的人間として自らを形成したが、その内実は「階級社会的人間=生産関係によって組織される人間」であった。ここから出発し、そして、「階級社会的人間」をのりこえなければならない。これは言葉によって言葉を越えた人間の新しい協働の世界、資本主義の暴力を制御する智慧をもった新しい人間の関係とそれを可能にする場を生みだすことと同値である。

客観的事実として、人間は、生物としての人から発展し、技術の進歩を土台に生産力を発展させ社会を変革し思想を深め、ついに、マルクス主義を獲得したことによって、世界に対する目的意識性と能動性を最終的に生みだした。人類ははじめて、「客観的歴史」の法則と目的意識的活動を統一した人生を生きることが可能になった。

南海   確かに。われわれがこのようなことごとを考えるのも、マルクスのいう目的意識性が根底にあります。われわれは大きくいえばやはりマルクスの思想圏のうちにいます。

北原   人類史の新しい段階、それを共産主義と言うならば、共産主義は歴史の要求です。歴史が求めているということは、可能性があるということです。現代の共産主義思想とその実践、歴史に対する目的意識性、これは近代西欧文明のなかからそれを乗りこえるものとして生まれた。『今までの哲学者たちは世界をさまざまに解釈しただけであった。だがそうではなくて、もっとも大切なことは世界を変革することである』(マルクス『フォイエルバッハについてのテーゼ』1845年)。このマルクスの言葉が今ほど輝いている時は、実は他にない。

この可能性は二十世紀にロシア革命、中国革命として現実性に転化した。しかし、その試みは少なくともいったんは挫折した。しかしその試みが終わったのではない。二十世紀の経験をわれわれの立場から掘りさげる。そして、新たな時代の礎を築くために、今なしうることをする。

第一
西洋近代、とりわけその土台である産業革命は、根本的にギリシア後期のプラトン以来の考え方を最後まで進めることで達成され、その世界への拡大が近代であった。しかし今やそれは地球という有限な世界のなかで限界に至っている。資本の増大を第一にする拡大の運動は、地球の破滅要因となり、これを制御するとことはできていない。
第二
人間と世界の存在に意味は何か。資本のためなのか。そんなことはあり得ない。さちを受けとる喜びこそ、意味の有無を超えた輝きである。西洋の「学」はギリシア時代に労働を奴隷に任せた貴族の「知」として成立した。生きる現実からのからの遊離は、キリストの神の前の真理として「真理」それ自身を自己目的化することによって正当化された。この「労働」と「知」の分裂は形を変えて生き続けている。この知はこの喜びを知らない。
第三
ことわりは働きの場のさちを受けとる喜びこそ、固有の言葉の生まれるところであり、ことわりの世界そのものであり、働くものが固有性に立脚してたがいに分かりあえる土台であると考える。理学はそうすることで、非西洋の固有性を深く耕して徹底し、固有性を突き抜けた生きた新しい段階の普遍性をめざす。言葉のなかに蓄えられてきた智慧は、それが直接の生産を土台にする生きた人間の智慧であるかぎり、十分に掘り起こされたならば必ず通じあえる。人間はわかりあえる。
第四
マルクスによって獲得された、世界に対する目的意識性と能動性を、西洋自体にも向ける。西欧文明が押しつけた疑似の普遍性ではなく、固有性が解放された人間の生き生きとした普遍性は可能である。固有性が互いを認めあって共存するところ(場)としての普遍性は可能である。
第五
歴史が求める可能性は必ず現実に転化することができる。しかし、その途はまだ明かでない。可能性を現実性に転化するための実践的方途は、開かれた問題のままである。現在を転換するこの途を見いだしていくには、膨大な努力の蓄積と、現実のちからが不可欠である。

人間と世界をあらためて固有の言葉としての日本語でとらえ直すことにまでたち返る。それが、今日だれの目にも明らかなこの現代の荒廃と混迷の中から再び立ちあがって、考え生きていくうえでの土台である。

南海   今はまだ多くの試行錯誤が積み重ねられねばならないときです。思想的にも実践的にもすべて問いは開かれたままです。思想は何より構造日本語に根をもつ言葉で語られねばならない。その試みとして、「もの、こと、いき、とき、わり、こころ、くくる、さち、た、たがやす」などの言葉の世界のうえに資本主義をとらえようとしました。

北原   これ自体が試行錯誤の一つです。そのことは忘れないようにおさえて、この時代になしうることを積みあげていきましょう。道は曲がりくねっているが、到達すべきところに到達するのです。


AozoraGakuen
2017-02-10