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反・西洋を超える

歴史と人生

南海   われわれは一人の人間でありながら、時代のなでの試行錯誤の過程で自ら内部に分裂をかかえて生きてきました。その分裂からの回復をめざし内面の対話を続けてきました。分裂の基礎にあるのは,近代日本における西洋的知としての数学と、一方で、根の無い思想は無力であるという痛切な経験です。

分裂からの回復、これがこの対話の一つの目的でした。一方、われわれの対話もまた時代の中にあります。現実の歴史過程が人間に課題を与えます。その課題を自ら引き受けるところに,分裂した自己の回復がはじまるということもまた、あることです。こんなことをいうのは、歴史の現在をよく見るならば、今日の歴史の課題は、分裂からの回復というわれわれの課題そのものです。ですから内部の統一の回復と歴史の課題になし得るところから応えることは一体です。

北原   『個人史』でも書きましたがこんな小さな人生もやはり時代の中のことであり、大きな歴史のなかの個人の歴史です。人間はそのなかで時代の矛盾や分裂をそれなりに引き受けて、いろいろ考え試行錯誤しそして生を終える。それは必ず次代に継がれます。われわれももういちど自らの内からどうしても考えやっておこうとすることをつかみなおし、残る時間を生きたいと思います。

西洋文明と西洋文化

南海   さて、前回文明と文化について考えました。文明はもはや地上ではただ一つです。それは西洋に端を発する近代文明でした。どこではじまるにせよそれが地上に行きわたることは必然でした。

北原   確かに西洋文明は必然であり不可避です。日本国は明治革命で成立した政権のもとで産業革命をすすめ、欧米をしのぐ強国になることをめざし、やがて英米と戦争にまでなった。先の戦争のとき「近代の超克」がいわれ,あたかも西洋文明に対抗する戦争のように一部の知識人は思い込んだが、実際のところ日本はドイツと組んでおり、あの大戦は欧米文明と日本文明の衝突ではなかった。日本もまた西洋文明を受け入れ、それによって培われた物質的な力によって戦争したのです。その戦争を推し進めたのは結局のところ市場の拡大をめざし、社会主義に反対する資本の論理であり、それ自体が西洋文明そのものでした。

同様に今日の中国もまた「中華文明」として台頭しているのではなく、孫文以来、中国人が西洋文明の技術体系を修得する不断の努力を続けた結果、台頭しています。今の中国は「西洋文明化」を成し遂げたからこそ、急成長し、政治的にも台頭しているのです。世界は西洋文明に席巻されているが、そのことと、欧米が世界を政治的に支配してきたこととは別のことである。従来の百年間は、西洋文明の席巻と欧米による政治的な世界支配が同時に起きていた。文明的に先行した欧米が、他の国々を支配するのは当然でした。

ですからまた、そこに反西洋の感情が非西洋の中に生まれるのは当然なのですが、現実には「遅れた西洋」としての非西洋の立場からのものでしかない。西洋化は必然です。これは避けがたい。ですから前回考えたように「文明の衝突」という考え方は正しくありません。

ここ数年、米国の経済面、政治軍事面での破綻の結果、米英の覇権は地に墜ち、世界は多極化に向かっています。今の世界の文明基盤を作ったのは欧米だが、政治的にも文化的にも欧米を軸としていた時代は終わりつつあります。

南海   正確にいえば欧州は新しい一つの世界を築きこの多極化の中で分を守って文化を育てようとしているようにも見られます。アメリカはまさに西洋の中のもっとも近代西洋に近い、それを体現したところであり、そのアメリカの経済と政治を担ってきた思想そのものが権威を失なってきています。

これについては何度も話してきました。新自由主義は西洋文明のもとでのひとつの経済文化です。それは資本論理を徹底して何はばかることなく推し進めた経済的行動原理です。それは西洋文明を生みだした原動力であり、そのような行動原理を内包していたがゆえに、西洋に近代文明と産業革命が起こったともいうべきことです。

北原   そしてその新自由主義は破綻した。このことは、西洋文明のもとで,逆説的ではあるが西洋的経済文化が破綻した。西洋文明を推進したその思想や行動原理がもはやこの文明のもとで権威をうち立て支配権を保持することができなくなっているということを意味します。

南海   西洋に端を発する文明は必然だった。西洋文明は、奴隷貿易と植民地支配による富の独占を土台とし、西欧内部にあってはアルビジョア十字軍による南フランスの制圧のような古代文明の流れをくむ文明を亡ぼし、そしてルネサンスを画期とする西洋の確立、そのもとでの市民革命と国民国家の成立、その権力のもとでの産業革命、そして新たな植民地支配と進んできました。その総体が終焉を迎えているのです。

とはいえ、あるいはその結果、今日人類は大きな困難に直面しています。アフガニスタンやイラクの惨状。アフリカ諸国の困難。貧困と人間破壊が一貫する地上。言えばきりがありません。

それにしてもわれわれは,西洋にあこがれるにせよ,西洋に反発し「西洋近代の超克」を掲げるにせよ、軸は西洋でした。あるいは敗戦後の森有正の時代も、西洋を軸に考えていました。

中国もまた反封建・反植民地を掲げてこの百年闘ってきました。西洋帝国主義の植民地主義およびその亜流としての日本軍国主義との闘いが,国家と民族の主なる課題でした。東洋主義、アジア主義もまた、西洋に対抗するものとしてのアジア主義、反西洋思想,あるいは非西洋思想の一つとしてのアジア主義でした。それが事実です。

反・西洋を超える

南海   しかし私は、このような反・西洋の立場や思想はもうのりこえなければならないと考えるようになりました。

世は大転換の時代に入りました。西洋中心の時代から次の段階への転換です。西洋文明自体は地上にゆきわたりましたが、それは物質循環に関していえば、拡大を続けなければ維持できないという経済文化によって支えられてきました。しかし地球は有限です。拡大を旨とするその文明はゆきづまり、もはやこのままでは立ちゆかなくなりました。

今後の世界経済を牽引するのは中国インドなどアジア勢だといわれています。七〇〜八〇年代は非西洋の日本が牽引する一つの勢力でした。西洋文明を摂取した中国やインドが当面拡大を続けることはまちがいない。しかし、それは拡大を旨とする思想圏内のことでしかありません。

北原   日本においては、二〇〇九年、民主党政権ができました。われわれは党派としての民主党を支持するものではないし、今はどこかの党派に属することも支持しているということもありません。しかし、この政権が生まれは歴史の大勢は、立場や思想を超えた客観的歴史過程です。

コンクリートの経済拡大より人間の生活を、多極化する世界のなかでアメリカ一辺倒からの脱却を、それを担う政治勢力を登場させよ、という歴史の大勢は動きません。日本の官僚やその背後にいいるアメリカや自民党がいくら抵抗しても、その流れ自体をとめることはできません。現実の政治過程は紆余曲折を経ます。が、向かうところは動かしがたい。経済は人間が生きるための方法であって人生の意味ではない。この考え方を闘いによって一歩一歩現実のもにする。これしかありません。

南海   このようにいうとかならず次のような意見が出ます。いや世界はまだまだ貧しい、経済によって人々が豊かにならなければならない。経済が人生の目的ではないなどというのは、豊かになった先進国の一部の人間の偽善的な人道主義に過ぎない。このような意見です。

北原   われわれが単に評論を言うだけならこの批判はありえます。しかしその前に,事実として経済拡大を第一とする考え方そのものが,実は世の貧困を生みだしているのです。儲け第一の資本の論理が、非対称に貧しい世界を生みだしているのです。評論的事実してもこれは明確にしなければなりません。

その上で、今日の袋小路からの活路を求め人は人間が生きる意味立ちかえり、固有の言葉で考えはじめます。これは必然です。非西洋の辺境こそ、転換の場であり時代の前線なのです。その意味でわれわれは時代の最先端にいます。

青空学園をはじめて,それまでの問題意識をまとめ、次に向かって考えはじめたときからわれわれは一貫してきました。ぶれなかった。そして分裂や矛盾をかかえてわれわれの内部で考えてきたことが、実が現代の課題そのものであるということになりました。われわれが考えはじめたのは,いうまでもなく六八年からです。ですから、時代が六八年の課題に追いついたとも言えます。

縷々いってきたように、世界は固有の文化がともに輝く深い普遍の場をめざす。その場こそ新しい段階の文明である。西洋に端を発する文明はこうして新しい世界文明にならなければなりません。多極化を経て、そのうえで極を超えて、新しい人類的な場としての文明に至らざるを得ません。アジア主義もまたアジアの固有性をそのままに新たな普遍性をめざさなければなりません。

そしてまだそれは可能性でしかない。まったく現実のものとはなっていません。このとき、言葉において深く根づく人々こそ、言葉をこえて人々と結ばれるという、この原則に立ちかえるべきです。日本語が,一地方語として衰退し,最後は亡びるのではないかという議論もありました。しかし、あくまで日本語のことわりにおいて考え、生きんとするものがいるかぎり、言葉は亡びません。

われわれが経てきた近代・現代日本語の苦しみは、この転換の時代の貴重な教訓です。東洋の苦悩は新しい時代の肥やしであり糧です。この経験から教訓をつかまなければなりません。その言葉は新しい時代の深い普遍の礎となるものです。

南海   われわれはこのような課題を考えることにおいて一体であり、一つです。人間といのちの世界が輝きをとりもどすときはかならず来ます。そのためにもういちど『定義集』の仕事に還ろうと思います。

北原   それがわれわれの現実の課題です。「野を拓き田を耕せ。里山を守り生かせ。実がなり、人間がたがいに結ばれるときは来る」と玄関に書きましたが、われわれにおいてはそれは『定義集』の再構築です。

『定義集』はある意味で「言葉の里山」です。ここは柴を刈るところであるだけではなく、祖先の霊が見守るところという伝説の場であり、そういう伝説を生みだすものとして,考える根拠となる場です。この場はしかし人の手で手入れしなければなりません。その仕事にかかろうと思います。

その上でそれを踏まえて、語るべきことは語りたいと思います。


AozoraGakuen
2017-02-10