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列島弧の課題

南海   ところが日本の場合、右派の大物である岸信介も児玉誉士夫も、なんとCIAから金をもらっていたことがわかっています。でも「天皇を米軍が守るのが日本の国体」なら、右派や右翼が親米もしくは属米になるのは、むしろ当然の話です。その結果、日本には健全な自主独立派勢力というものが育たず、「右翼」というと中国や韓国・北朝鮮の問題には妙にいきりたつが、現実に自国に駐留している米軍については何も言わない、言えない、そういった人びとといったイメージになっているのです。

こうしてさまざまな偶然(とくにマッカーサーの個性が大きかった)の末に、国内で広く支持されている天皇制と、その後も世界最強でありつづけた米軍(外国軍)が深く結びついたことが、戦後日本のどうしようもなく複雑なねじれ現象を生んだといえます。本来もっとも愛国的であり、自主独立をとなえるべき右派勢力が、米軍の駐留を強く支持するというパラドックス。それがイラクからは7年で撤退した米軍が、66年たってもまだ目本にいる原囚であり、「そらあ、天皇さあ」といったMさんの言葉は実に正しいのです。

そして「戦力放棄」「平和憲法」という理想をかかげながら、世界一の攻撃力をもつ米軍を駐留させつづけた戦後日本の矛盾は、すべて沖縄が軍事植民地となることで成立していたというわけです。

政治の本質が結果責任(全休利益の追求)であるとすれば、昭和天皇や吉田首相がマッカーサーやダレスと対峙しながら全力で構築した「戦後目本」は、50年のスパンで考えると大きな成功をおさめたといえるでしょう。しかし100年のスパンで考えるとどうか。沖縄という同胞を切り捨て、ひたすら経済的繁栄を追い求めたことのつけが、まさにいま問われようとしています。

戦後の対米従属の日本政治は、昭和天皇とそれを担いだ日本支配層にはじまる。この体制が沖縄を見捨て、地方を切り捨て、そして東電核惨事にまで至った。だがしかし、世界は変転している。ベトナム戦争からアフガン戦争をへてアメリカと西欧帝国主義世界ははっきりと凋落した。この大勢はもはや不可避である。

これを反映して、日本においてもようやくに対米従属からの脱却を求める見解と運動が表面に出てきた。だが、道は曲がりくねっている。アメリカではファシズムが起きはじめている。日本においてもこれに内部から呼応する動きが出てきている。帝国の最期となるファシズム、これに対する人民運動、この対決は不可避である。

北原   私たちは、天皇個人とそれを担ぐ支配層の総体的な体制を天皇制といおう。この天皇制、つまりは昭和天皇とともに戦争を遂行した勢力は、アメリカに命乞いをし、いわゆるA級戦犯にすべての責任を押しつけて延命した。命乞いをしている間に、ソ連参戦があり,広島の原爆投下があり、長崎の原爆投下があった。これらは、ポツダム宣言がでた1945年7月のうちにこれを受諾していれば、起こらない惨劇であった。このことはようやくに多くの人の認めるところとなりつつある。

そのことによって天皇制の権威は崩れた。三島由紀夫は西洋文明としてのアメリカに屈した昭和天皇に対し「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」と抗議した。戦後天皇を認めることはアメリカへの従属になり、本当の愛郷思想と矛盾する。ここに戦後日本右翼の根本矛盾がある。三島由紀夫はこの矛盾を一身に引き受けたのです。

戦後の対米従属の日本政治は、昭和天皇と生き残った戦争遂行勢力にはじまる。この体制が沖縄を見捨て、地方を切り捨て、そして東電核惨事にまで至った。だがしかし、世界は変転している。ベトナム戦争からアフガン戦争をへてアメリカと西欧帝国主義世界ははっきりと凋落した。この大勢はもはや不可避である。

これを反映して、日本においてもようやくに対米従属からの脱却を求める見解と運動が表面に出てきた。だが、道は曲がりくねっている。アメリカではファシズムが起きはじめている。日本においてもこれに内部から呼応する動きが出てきている。帝国の最期となるファシズム、これに対する人民運動、この対決は不可避である。

南海   昨年来の世界的な人々の蜂起は、配景として帝国アメリカの凋落がある。日本において今後四半世紀の課題は、次の二点をこの列島弧に生きる人間の意志として実現すること集約される。

一) 日本国内に外国軍の駐留を認めない。 二) 原発を止め核燃料廃棄の過程に入る。

そのための基礎作業として、私たちは、里のことわりを人民の手に取りもどすためにこそ、そしてそれが、人間としてのもっとも基本的な営みであるからこそ、日本語定義集にうちこみたい。

われわれの営みこそが本当の意味で愛郷主義であると確信している。


AozoraGakuen
2017-02-10