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己の立ち位置

南海   われわれは長く内部の対話をしてきました。2010年の年末から年始にかけてようやくこの対話を終えるところに来たようです。それは二人の間にあった矛盾、葛藤を乗り越える立ち位置を、ようやく二人のものにすることができたと考えるからです。

『青空学園だより』の2010年12月31日に書きました。

私についていえば,ようやくこの歳になって,自分の立ち位置が定まってきたように思う.前にも書いたが,高校数学の周辺を掘りさげることを倦まずたゆまずやってWEB上に残しておく.周辺というのは必ずしも数学だけではない.誰かの役には立つだろう.これは頭の働くかぎり続ける.そういう営みをする人間として,情況に対し発言し,可能な行動はする.生あるうちはそれをつづける.思えばこの歳までまったく試行錯誤の連続であった.多くの人に迷惑もかけた.孔子は「四十にして惑わず」といったそうだが,こちらは還暦も数年過ぎて,ようやくそんなところである.

これは偽りのない私の気持ちです。「高校数学の周辺を掘りさげる人間として」ということは、十年やってはじめて言えます。人間はやはり何ごとかをたゆまず積みあげることではじめて人間になる。貴重な経験をしました。「そういう営みをする」ことの内容がなかなか定まらず、数学を捨てようとして捨てきれなかったり、長く迷走したといわざるをえません。

北原   結局私が担っていたのは「そういう営みをする人間として,情況に対し発言し,可能な行動はする」というところでした。すべてを捨てて活動家そのものをめざしたときもありました。しかしそのような活動家そのものがありうるのか,というところから考えなければなりません。今はそういう時代です。

これに関してフランスの哲学者バディウの言葉は切実でした。彼はその著『サルコジとは誰か』の中でいう。訳者は榊原達哉氏である。ただし「コミュニズム」は「共産主義」、「シークエンス」は「段階」、「シニフィアン」は「ことば」と直した。榊原達哉氏は「既存の体制としての共産主義ではなく、バディウの主張する『未来の共産主義』を意味する場合は、あえてこの訳語(コミュニズム)を用いることにした」というが、われわれはかつても共産主義の理念を掲げていたし、その内容が展開し新たな質を獲得するとしても、それはやはり共産主義なのだ。永続革命とは継承と止揚なのだ。このようにカタカナ語と用いて使い分けをすることは、まさに共産主義の理念のもとに哲学者であるバディウの心を汲んでいないと思う。

共産主義を清算してはならない。それはまさに多くの血を流した経験なのである。この経験から教訓をくみだし、第三の時代に生かさなければならないのだ。継承と乗り越えとが必要なのだ。私はやはり私自身の経験であり、また私が出会った多くの活動家の経験を伝えるという点からも、言葉は「共産主義」でなければならないと考えている。

本質的な問題――この問題の真の帰結は、すべての次元において、まだ調査しきれていないほどの拡がりを持っている――、それは政治の言説・行動において、「労働者」ということばを復権させることである。むろん、二十一世紀の優勢を占める方向、つまり共産主義の仮説の第一の時代(労働者階級、全面的な《人間性》の解放に向かう自然な歴史運動の動因)の方向にしたがえば、その復権がなる、というわけではない。また、二十世紀に優勢を占めた方向、つまり共産主義の仮説の第二の時代(革命政治にとって、唯一無二の不可欠な指導機関であり、さらには党―国家の形のもとに、プロレタリア独裁を排他的に独占する機関である労働者階級の党)の方向にしたがっても、そうなるわけではない。だが、まだ実験段階にある第三の方向、すなわち金融資本とその奉仕者によって実現された覇権から組織的な形態において免れることのできる、あらゆる者の総称としての「労働者」という方向にしたがえば、「労働者」ということばを復権させることができる。
第ニ段階の延長ではなく、またありえないであろう、と。マルクス主義、労働運動、大衆デモクラシー、レーニン主義、プロレタリアの《党》列,社会主義国家。これら二十世紀の驚くべき発明は、われわれにとってはもはや有用なものではない。理論の水準では、たしかにこの発明は認識され、熟考されなければならない。だが、政治の水準においては、これらは実践不能になった。それが本質的に自覚されるべき第一の点てある。すなわち、第二段階は閉じられ、それを引き継ぐこと、あるいは復活させることは無益なのである。
真理は――いま一度言うが、真理の到来は前世紀の六十年代以降に下書きされている――以下のことを意味する。すなわち、われわれの問題は、新たな仮説の保持者としての大衆運動の問題でも、仮説を実現する勝利せる指導者としてのプロレタリアの党の問題でもない、と。第三段階に結びつき、その開幕にあたってわれわれが努力する戦略的な問題は、別の事柄なのだ。

彼はわれわれと同じく六八年をその出発地点としています。そして社会活動、党派活動を経て、今日共産主義運動の第三の段階を模索している人である。彼は

むろん、世界規模でのソ連の崩壊があった。それに伴い、この老朽化した国家がマルクス主義の紛れもない守護者だという、あらゆる「マルクス主義」的イデオロギーの指標の崩壊があった。この観点から見たとき、いずれにしても荒れ狂う資本主義の勝利といううぬぼれに直面して、左翼の最も深刻な危機を生み出しだのはスターリンではまったくない、ことは確認しておこう。ここで言っておかなければならないことがある。それは、スターリン時代に、労働者と民衆の政治組旅は限りなく好調となり、資本主義はそれほど傲慢ではなかったということだ。比較の必要すらない。沈滞期の人であり決算人であったブレジネフや、とりわけ徹底的な改革者であったゴルバチョフが、「左翼」の世界をいつ立ち直るのかわからないような悲惨さの中に投じたのだ。いずれにしても、おそらくこの指示対象の端的な死が望まれたのであろう。
と、同書でも書いているようにいわゆる反スタ左翼ではない。この点においてもわれわれは深い共感をもつことができる人である。

スターリン問題をどのように総括するのかは,実は未解決です。私は、スターリン時代の粛清などさまざまの問題は、ファシズム包囲のなかで生まれたものであり、それは残された課題であり、われわれがわれわれの条件のなかで活路を見出すべき問題だと考えています。その意味で、反スタ左翼でないバディウに深く共感します。

そのバディウが、党や専従活動家という形態は、第三の時代の共産主義運動にとっては本質的でないばかりか、それはすでに終わりそれだけでは何ら歴史を進めることができない、ということを言っています。

南海   それはまさに党派活動家であり専従までした北原さんと、数学を捨てられなかった私との対話の意味でもあります。その結果として私たちは、新しい人間のあり方をようやくに自分のものとすることができたのではないかと考えています。

北原   それとともに、もう一つバディウに教えられたことがあります。それは「理念をもって生きる」ということです。専従であった時代をふりかえると、やはりそこにどうしても党派の利害が出ます。日本の新左翼の党派党争が典型ですが、党派の利害が出るということ自体、党組織という方法が第二段階までのものであって、これからの時代を切り拓くうえで、意味がなくなっていることを教えています。

「わが党の正しさを示している」、「わが党のいう通りにすすんでいる」、「われわれが領導した」などなど、七〇年から九〇年代にいわれた言葉は今から見れば滑稽ですが、しかし当時真剣であった。

南海   大切なことは個人でもなく党派でもない。ただ歴史の動きに寄りそい、それを一歩でも進めることに役立つこと、なのです。党派の利害も個人の山っ気も関係ない。歴史の動きの中心点を見据えて、その周りにいささかでも回転させる、それがいかに小さくても良いのです。そのように生きると言うことです。

北原   それがバディウの「理念をもって生きる」ということです。フランスにいる哲学者・廣瀬純氏は『サルコジとは誰か?』につづく『仮説としての共産主義』を紹介する一文が現れた。「理念をもっていきること」(廣瀬純 『週間金曜日』2020.11.12 号)である。次の「理念をもって生きる」はまさにその通りである。

『サルコジとは誰か?』はバディウによる状況論シリーズの題四巻として刊行されたが、フランスでは昨年『仮説としての共産主義』(L'hypothése communiste.未邦訳)が刊行され、第四巻で提示された「共産主義の理念」という問題が改めて本全体の中心テーマとして取り上げられ、より詳細に論じられている。バディウの議論はおよそ次のようなものだ。すなわち、敵は資本主義と代議制民主主義とのカップルを唯一可能な社会のあり方だと喧伝し、その他のあり方を端的に不可能なものだと位置づけることで、「理念をもつことなく生きること」を我々に強いようとする。  これに対し「真に生きること」としての「理念をもって生きること」とは、可能/不可能の敵によるこうした固定的な境界画定を根底から揺るがすこと、また、そうすることで見出される新たな可能性を歴史のなかで具体的に実現していくことだ。
 新たな可能性が示されるのは「出来事」(バディウ自身にとってはとりわけ"六八年五月")によってのことだが、その可能性の具体的な実現は我々一人ひとりがその実現プロセスにおのれの身を投じる「決意」をなすことによってしか始まらない。そうした「決意」の瞬間から、各人の行なうどんなローカルな活動(たとえば商店街でのビラ配布)も直ちに、世界史全体における「仮説」の実現プロセスそのものを体現するものになるのだと。
 年金改革をめぐるサルコジ政権/ストリートの対立は、したがってまた、理念をもつことなく生きるのか、それとも理念をもって生きるのか、ということの直接的なぶつかり合いでもあるのだ。

南海   高校数学の周辺を掘りさげつづける者として理念をもって生きる。

この立場というか境地をようやくにわれわれは自分のものとしました。もちろんこれは矛盾と対立をはらみ、それがまた思索の原動力であるということは変わりません。しかしそれが一人の人間のなかで為されてゆくという意味で、われわれの内部の矛盾は乗り越えられました。これからはそういう人間として生あるかぎり、この時代を生きぬきたい。

考えてみれば遅きに失したかも知れません。また、何とか生活しているから言える戯言かも知れません。それでもよい。それは自分でわかってればよい。そのうえで残された時間、やはり理念をもって生きたいと思う。


AozoraGakuen
2017-02-10