◯「う[u]」は糧、食糧の意味である。「つ[tu]」は、作ること、生み出すこと。そこから、命が生まれるところに展開した。「うつなる場」はそこから「何かが生成してくる場」であった。
この場は「うち(内)[uti]」なる場であり、新たな力の宿る創造の場としての「中空の場」である。これは、生命の宿るところとしての「子宮」、また殻のなかに実が詰まる「籾(もみ)」、また蝶になる前の「蛹(さなぎ)」、これらの事実から、創造の場がからっぽな場であるとの考え方が生まれてきた。
銅鐸や鈴のような、からっぽのものを振ることによって、生命力としての「たましい」が籠もると考えてきた。
『竹取物語』は、竹の中の「うつな場」に姫が生まれた。また『宇津保物語』の「うつ」も、漂流の先で琴の秘曲を習得した主人公の祖父俊蔭の娘が母になり、北山のほこら(木のうつな場)で息子に琴を教えるという導入ではじまっている。
この創造の場としての「うつ」から、そこに現れることとしての「うつ・し(現し、顕し)[utusi]」が派生した。この創造は世界の外から来て世界のなかに現れる、つまり何かが転じて生まれる、と考えられた。その意味から、そのものが別のところに「現れる」ことしての「うつ・し(写し,移し)」に展開した。
◆ものがこもり、いきを得て、新たなものになる中空の場。
▼うつせみ(漢字として「空蝉」を当てることは万葉集から例がある。)「み」は万葉仮名の甲類の文字で書かれているから「身(乙類)」ではなく、「現身」とすることはできない。「うつしおみ(現臣)」が「うつそみ」となり、さらに変化した語。
▽この世に生きている人。 ◇『万葉集』一五〇「空蝉(うつせみ)し神に堪(あ)へねば離れ居て朝嘆く君」
▽現世。人世界。 ◇『万葉集』四一八五「宇都世美(ウツセミ)は恋を繁みと」
▽「虚蝉」「空蝉」などと表記したところから「うつ−せみ」と意識されて)「蝉のぬけがら」から「蝉」そのものの意味が派生した。 ◇『古今集』四四八「空蝉のからは木ごとにとどむれど」 ◇『後撰和歌集』一九五「うつせみの声きくからに物ぞ思ふ」
▽『源氏物語』における「空蝉」
○『源氏物語』第三帖の名。帚木の後半を受け、源氏一七歳の夏、三度目に空蝉に近づいたが、空蝉が薄衣をぬぎすべらしてのがれることを中心に描く。後から挿入された短編的性格の巻といわれる。
○源氏をめぐる女性の一人で、故衛門督の娘。伊予介の後妻。一度は源氏に身を許したが、不釣合の身を反省して、以後源氏を避け続ける。夫の死後尼となったが、源氏に二条院に迎えられる。
○謡曲。三番目物。宝生流。「源氏物語」による。旅僧が都の三条京極中川を訪れると、空蝉の亡霊が現われて光源氏との恋物語をし、僧の回向をうけて成仏する。番外曲。
▼名詞について言葉を派生させる。中があいて、まったくからっぽの状態という意味。
◇(派生語)うつろ(虚ろ)、うつほ(空穂)、うつわ(器)