◯接頭語の「さ」とところを表す「と」よりなる。「さ」は「さつき(皐月)」、「さおとめ(早乙女)」、「さなえ(早苗)」、「さみだれ(五月雨)」の「さ」であり、みずみずしいいのちの満ちていることを表す。「と」は「やまと(山の霊威があらわれるところ)」、「みなと(水の霊威があらわれるところ)」のように用いる。「さと」はいのちの霊威があらわれるところをいう。
※「さ[sa]」はタミル語<ay>由来。美しさ、こまやかさ、小ささ、柔らかさを意味する。
◆いのちの霊威があらわれるところをいう。つまり、人が生まれ育ち、生活し、いのちをつなぐところの意である。後にそこを出た者は、育った里を、心の拠り所として「ふるさと(古里、故郷)」という。「こと―わり」の意味は、「こと」の意味を考えたうえで後で定義する。ここでは、里につたえられそこに住むものの生き方、その形そしてその仕組みを表すものとする。
固有の言葉とそのもとでの協働をとおして形づくられた生き方を里のことわりという。
里のことわりを慈しみ、それをいまに生かす。この心が世のあり方を変えてゆく力であり、この心を欠くならば、何ごとをなさんとしてもそれは根なし草である。
▼人が育ち生活するところ。 ▽「の(野)」や「やま(山)」に対して、生活するところ。 ◇『万葉集』三四六三「ま遠くの野にも逢はむ心なく里の真中(みなか)に逢へる背なかも」 ◇『万葉集』三七八二「ほととぎす我が住む佐刀(サト)に来鳴きとよもす」 ◇『源氏物語』夕霧「早うより御祈祷(いのり)の師にて、物の怪など払ひ棄てける律師、山籠りして里に出でじと誓ひたる」
▽生まれ育ったところ。 ◇『万葉集』一七四〇「住吉に帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて」 ◇『古今集』二四八「さとあれて人は古りにしやどなれや庭もまがきも秋の野らなる」 ◇『新古今集』四七八「里はあれて月やあらぬとうらみても」
▽旅に出たときの、後に残したわが家。 ◇『万葉集』三一三四「里離れ遠くあらなくに草枕旅人し思へばなほ恋ひにけり」
▽宮廷を「内(うち)」というのに対して、それ以外の場所をいう。特に宮仕えする人が自分の住家また実家をいう。自宅。生家。 ◇『伊勢物語』六五「この女、思ひわびてさとへ行く」
▼家々のあるところ。 ▽集落。 ◇『古今集』九三「春の色のいたりいたらぬさとはあらじ さけるさかざる花の見ゆらむ」
▽(都に対して)田舎(いなか)。田園地帯。在所。 ◇『俳・鹿島紀行』「かりかけし田づらのつるや里の秋」
▽妻、養子、奉公人などの実家。親もと。今日では、ふつう、妻の実家をいう。 ◇『浮・好色一代男』五「今日御隙を下され、里へ帰る御名残に」 ◇『滑・浮世床』初「女房の里」
▽養育料を出して、子どもを他人に預けること。また、その預け先。 ◇『浄・夕霧阿波鳴渡』上「あければ七つ、元の遣手玉が才覚でさとに遣ったとやら」
▽(「おさとが知れる」の形で用いて)素姓。おいたち。育ち。 ◇『洒・廻覧奇談深淵情』「もらってくれろのなんのといふ様な客ならお里のしれた男だが」
▼距離の単位。距離をあらわす「里(り)」を訓読した語。
◇『古今六帖』五「はるばると千さとの程をへだてては」