【いる】[iru]
■[iru]はそれ自体もっとも基本的な言葉である。さらに分解すれば[i]が動いてこの世界に現れることであり、[ru]はその状態を生み出す行為を意味する。主体あるものが動いてきてそしてそこに「ある」こと。
◆この世界のなかを移動して現れること。自分の意志で動くものが、動いてきてある場所に「存在する」。「いる」は本来発見とともに成立した。なにかのものが「いる」と発見できるのは、それが存在するからである。「いた、いた」と発見できるのは、「あった」と発見できるのと同様に、それが「存在する」からである。そこから、発見者の行為とは関係なく一般的に「いる」ことを表すようになった。
▼「いる」は、本来は高さの低い状態になる、の意であり、「立つ」に対する語として具体的な「坐る」「住んでいる」などを表す言葉であった。近代になってこの言葉の抽象性が高くなり、現代日本語ではもっぱら「存在する」の意に用いるようになった。 ◇なんだ、こんなところにいたのか。 ◇大勢の中には違った考えの人がいる。 ◇今日は一日家にいる。 ◇部屋にいるので用事かあれば呼ぶように。 ◇トラはインドにいる。
▼補助動詞になる。動作、作用、状態の継続、進行を表わす。 ◇じっと見て(聞いて)いる。 ◇もちろん知っていました。 ◇手をこまねいている。 ◇『徒然草』三二「物のかくれよりしばし見ゐたるに」 ◇見ず(聞かず)にいる。 ◇知らないでいました。
▼「いる」の類語に「おる」がある。「おる」は「いる」ものの意志、主体性を否定して、「ある」に近づけた語。他者に対して用いるときは軽蔑の意味がこもる。 ◇そこにおるように。 ◇ちょうど家におった。