【思考(しこう)】「もの」を思いそのものの「こと」を考えること。「もの」に思いを寄せ、つまり心をものに掛けて、そのものの「こと」を考える、これが「思考」である。 構造日本語「もの、こと、思う、考える」の再定義をふまえて「思考」をこのように定義する。
◆「思考」は明治期に作られた言葉である。明治期に行われた造語は、従来からの言葉を活かし、意味を発展させるのではなく(この方向は福沢諭吉が試みたが挫折した)、新たな言葉を漢字を並べてつくり出すという方法でなされた。比較的意味が近いと考えられる漢字を二つ並べることで新たな単語を作った。だが、本当は意味が近いようであるがそれが別の言葉であるところに、訓読みされた日本語や、もとの漢語の含蓄があったのであるが、それを切り捨てることで言葉をつくった。「思」と「考」の違いにこそ日本語の本質があったのに、それを無視して、或いはそれを知らずに、thinking や Denken の訳のために「思考」が使われた。
現代日本語では、「思考力」、「思考方法」、「思考作用」や「思考する」と用いられるが、実際にもちいられているときの「思考」の意味は「頭を働かす」「頭を働かした内容」ということ以上ではない。そしてそれは thinking や Denken ともまた違うものでしかない。
◆明治期の用例。一と三は翻訳のため、二は漢字熟語の調子のために用いられている。 ◇『花柳春話』織田純一郎訳「此を読み彼を閲し、或は書紀し或は思考す」 ◇『露団々』幸田露伴「氏の心中必ず充分精細の思考を有するを知るに足れり」 ◇『吾輩は猫である』夏目漱石「余は思考す、故に余は存在す」
◆現代日本語の用例。いずれも働きとしての「考え」を漢字熟語にするために用いられている。したがって「思う」と「考える」で考えられること以上のことを「思考」が言い表すことはない。 ◇得られた情報を使って思考を生み出す。(得られた情報を使って考えることを始める。) ◇新しい思考が生まれる。(新しい考え方が生まれる。) ◇MS-DOSは思考の道具だ。(考えるための道具だ。)