【生命(せいめい)】「いのちあるもの」という「もの」のあり方(存在様式)のこと。
◆この世界はものの世界である。ものは生々流転、集合離散を繰りかえし、さまざまにあり方を変転させる。縁あっていのちあるあり方をし、いのちとしての輝きを繰りかえす。そして、いのちが終わる、つまり、「いのちあるもの」としてのあり方が変転し「もの」に還っても、ものそのものは再びこの世界をめぐる。これが世界である。
「いのち」がもののあり方の特別なひとつの形式として発見されたのは近代資本主義の成立以降である。近代は「人」を、「人間」という「言葉をもって協同して労働する生命体」として再発見したが、それを支えるのが「生命」の発見である。
このように、「いのち」は近代資本主義のなかで再発見され、「生命」と呼ばれるようになった。ものを生産し価値を生み出す労働の源泉としての「いのち」である。資本家の側からいえば「殺さず、生かさず」の内容としての「いのち」である。われわれにとっての「生命」はこのように近代になって再発見された人間の「いのち」、そこから広げられた生き物の「いのち」、それを「生命」という。
◆「もの」の生成発展する本質としての「いのち」と同様の意で、その人を人間としている本質を意味する。漢字熟語を構成するときに用いられる。
▽いのち。寿命。性命。しょうみょう。 ◇『とはずがたり』「しゅほう恩おもし、かすかならむ身なりと、いひつつ、せいめいにまつりかへられけれは、明王、命にかはりて、なんちは師にかはる」
▽その方面、分野で活動、存在していることができる根源。 ◇『社会百面相』内田魯庵
電影三「政治生命は絶えたと、世間の評判は喧ましかったぢゃらう」(「それが政治家のいのちである」と意味は同様)
▽唯一のよりどころ。いのち。 ◇『春潮』田山花袋「恋を生命とし、恋のために半生を犠牲にした」