書庫 next 次: 高校での数学と教育数学

わかってにっこりが原点

 教員になってはじめて教壇に立ったとき,授業をやっていてクラスの何人かは分数の計算ができないことに気づいた.黒板は写すが,自分で計算できないのだ.そこで,すぐに分数計算の仕方も授業でやろうとしたが,今度はできる側の生徒たちから,分かりきったことに時間を割かずに先に進んでくれと反発を受けた.
  そこで,分数計算などできるという生徒に「どうして分数のかけ算は分子と分子,分母と分母を掛ければよいのか」と問うてみた.するとその説明ができる生徒はいなかった.計算の仕方を知っているだけだった.
  ではそれを一緒に考えようと,遠山啓先生が提唱されていた水道方式によって,数の四則計算の意味を確認したうえで,分数の定義にたち返って,そこから計算方法に入った.皆はじめての話ばかりで,よく聞いてわかってくれた.にっこりした顔が忘れられない.はじめてクラスとしての授業ができた.
  十数年前,そのときの教え子に再会した.すぐ昔の話になり,「高校でもう一度分数を習うとは思っていなかった.自分の知らないことだった」,「関数の話はおもしろかった」など,昔のことをよく覚えてくれていた.
  関数の概念は,今も高校生が理解しづらいものであるが,ブラックボックスの図を作り,「働き」としての関数を教えた.このクラスの3年間を通して教えることについて実に多くのことを学んだ.授業というのはわかる喜びを経験する場なのだということをこのとき確認した.
  大切なことは,課題を適切に設定し,何が問題なのかを本当に理解させ.そして自分で考えるようにもっていくことである.苦しくても考えねばいられないように問題を理解させることである.本当に問題に直面できた生徒は考える.そして飛躍する.そしてそのときにっこりする.これはそれぞれの段階で可能である.大学でも可能である.何もかもこちらで喋ってしまうと,理解はできるが,納得できないままになり,分かる喜びを経験することができず,数学の力はつかない.
  高校教員時代のこの経験は今も生きている.問題を正しくつかみ,自分で考え,「わかって,にっこり」できる授業を指針にやっている.それが「学問としての高校数学」である.
  数学的な現象のしくみや数学的な事実が成立する根拠を考える.問題に直面し,なぜ解けるのかを考えながら解く.解ければ一般化し,別解はないか調べる.本来,数学とはそんな学問なはずである.特に高校生には,このように学問として正面から勉強し,わかる喜びを知ることが,結局は力をつけるいちばんの道であることも強調したい.
  これは授業の場でのことだけではない.自分で数学の本を読み自分で考えたときも,分かればやはり「わかって,にっこり」する.ウエブ上に「わかって,にっこり」する場を作ることはできないのか,それが青空学園数学科をはじめたもうひとつの動機であった.