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教育数学とは

教育数学のなすべきこと

近年ようやくに「教育数学」が言われはじめた.数理解析研究所講究録1711の『教師に必要な数学能力に関する研究』[47]や1801の『教育数学の構築』[48]を読むと,それぞれの論文で「教育数学」に関していくつかの定義が試みられている.

「数学教育とは,出来上がった数学(カリキュラム)をどう教えるかを問題にするものであり,教育数学は教育の諸々の諸相から実際に数学者がかかわることの出来る部分を取り出す営為である」というのが,この共同研究の主宰者・蟹江幸博氏の定義である.このような研究がさらにひろく展開されることを願っている.

しかし,教育数学の真の課題は,このように混迷している今日の高校数学と大学初年級の数学教育に対して,新たな方向を示すものでなければならない.

そして,教育数学が提起されたこの数年,この課題に関していささかでも前進があったのかといえば,現実はまったくそうではない.

やはり,近代150年,西洋式の数学はまだこの日本の現場には根づいているとは言いがたいのである. では,少なくとも数学教育のそれぞれの場で関わるものが,自覚的につかまねばならないことはどのようなことであるのか.

  1. 何が定義であり何が結論であるのかという数学構造そのものを考えさせる. 数学には構造があるということ自体をつかませる. 高校確率をふり返るところから入ることも一つの方法である.
  2. 命題が成立する根拠を問うことをつねに行う. 「なぜそんなことが言えるのか」をつねに考えさせる.ここに科学がはじまる. 根拠を問うとは,すべてを疑い,現象を根本において捉えることである. さらにその根拠をも問い直す.この永続運動が科学である. $\epsilon-\delta$論法を学ぶことは,そのための教材の一つである.
  3. 根拠が明確でないとき,一定の公理系から再構成するという問題を立てる. 公理体系がいかなるものでなければならないのかを考える.実数論はその適切な材料である.
  4. 考える対象としての集合をとらえ,その構造をつかむことを学ぶ. 集合を定義する一定の条件が集合の構造を決めることの意味と, それを探求するための方法論の模索そのものが教育の内容である.

これらを実際にやってみることが高等数学の教育である.そして,これは十分可能である. 問題は.数学教育に携わるものの,そのための教育であり, 数学教育に携わるもの自身の学ぶべき内容の提示,ここに教育数学の実践的な意義がある.

私は,『数学対話』の「量と数」において,次のように書いた.

数学の教育においては,その根幹に,わかる喜びの継承がなければならない,と考える.高校生に数学を教えることを生業としてきたが,授業というのは,わかる喜びを体験する場なのだということが,経験を通しての確信である.生徒が自ら問題を正しくつかみ,自分で考え,わかってにっこりする.それが「学問としての高校数学」を生きた学問にする.「理解はできるが,納得できない」段階からの飛躍である.その指導に方法としての数学教育の難しさと醍醐味がある.

しかしそれを可能にする前提として,教えるもの自らがわかる喜びを経験していなければならない.「わかった」という経験のないものが数学を教えるなら,生徒たちがわかる喜びを経験するように指導することは難しい.「わかる喜びの継承」は文化である.授業を通してわかる喜びを次代に伝える,ここに数学教育の根幹があり,それを可能にするのが教育数学である.

つまり教育数学とは,わかる喜びの継承を根幹とする数学教育において,それに携わる者自身がそれを研究することをとおして自らわかる喜びを経験する場でなければならない.

例えば,私自身が『幾何学の精神』を学び書いてゆく過程は,私の「わかった」という場であり,これを行うこと自体が教育数学の素材であると言える.

こういう自らの経験をふまえて言えば,高校や大学初年級の数学教員は,一定の公理系からすべてを演繹することも一度はやらねばならず,それを貴重な経験にとしてもたねばならないし,そういう問題提起もまた教育数学の役割である.

教育数学への問題提起と,そして問題は開かれたままであることの指摘をもって,本報告を終わりたい.

参考文献

[1]
青空学園数学科: http://aozoragakuen.sakura.ne.jp
[2]
『次の世代に何を伝えるのか 〜今こそ「高い立場からみた初等数学」を〜』,河村央也, 数理解析研究所講究録 No.2021,2014
[3]
$\epsilon-\delta$論法とその形成』, 中根美知代,共立出版,2010
[4]
『神道新論』,河村央也,作品社,2018





Aozora 2018-08-09