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量の条件

比較可能

南海  量を後に定義する。この量がどのような性質をもつべきであるかを考えるために,定義されたとして,$X$で同じ種類の量の集合を表そう.そのうえで,量に要請される性質を考えよう.

太郎  $X$は長さの集合とか,重さの集合ですか.単位によって数値が違いますが.

南海  まだ数値化はしていない.1尺と言おうと10/33メートルと言おうと同じ長さだ.その長さの集合を考える.

$X$の元である量を$A$のように大文字で表そう.量であるために,$X$はどのような構造をもたねばならないのか.逆に言うと,人間が歴史的に認識し生みだしてきた量とは,どのようなものであるのか.

まず比較可能性である.では何を比べるのか.

太郎  普通は大小を比べます.

南海  比べるということから,逆に大小ということがつかまれたのだろうが,量の比較可能性の前提として,量には大小関係が定まらねばならない.量が満たすべきことを公理としてまとめてゆこう.

公理1-1     $X$には関係「$<$」が定義され,$X$の2つの量$A$$B$に対して

\begin{displaymath}
A<B,\ A=B,\ A>B
\end{displaymath}
のいずれかが成り立ち,かつどれか一つだけが成り立つ.

これは比較できるということの最も基本的な性質である.だがこれは2つの量の間で直接の比較ができるというだけである.次の間接比較の可能性が保障されなければ量を定めるとはいえない.それは仲立ちになるものを媒介にして比較するということである.つまり,

公理1-2

\begin{displaymath}
A<B,\ B<C\ ならば\ A<C
\end{displaymath}
が成り立たつ.

$B$が量$A$より大きく,量$C$が量$B$より大きければ,量$C$は量$A$より大きいという.

ここまでの性質だけでは,大小の比較はできるが,大きさの程度の比較はできない.量は大きさの程度が比較できねばならない.大きさの程度が比較できない例,苦しみについて.これは確かに大小の比較はできる.人間がなんらかのことに遭遇したとき,今回の苦しみはあのときの苦しみより大きいということができる.だがどれくらい大きいかが比較できるわけではない.この意味で苦しさはまだ量になっているとはいえない.

和差可能

南海  とすると,次にどのような性質をもたねばならないか.

太郎  容器に水が入っていて,容器とあわせて10gとする.ここにさらに水2gを入れると12gとなる.このように合併すると値が和になる,というのも大切ではありませんか.

南海  次のように定式化してみよう.

公理2-1     $X$の2つの量AとBについてその和$A+B$が定まり,次のことが成り立つ.

\begin{displaymath}
A+B=B+A,\ (A+B)+C=A+(B+C)
\end{displaymath}

しかし和を定めただけでは意味がない.比較できることとあわせて次の公理が要請される.

公理2-2     2つの量$A,\ B$と量$C$がある.このとき命題

\begin{displaymath}
A<B\quad \iff \quad A+C<B+C
\end{displaymath}
が成り立つ.とくに$C<B+C$も成り立つ.

$B+C=D$とおく.このときCのことを$C=D-B$と書き表し差という. これがつねに成りたつように次の公理をおこう.

公理2-3

\begin{displaymath}
A<B\ なら量C で B=A+C となるものが存在する.
\end{displaymath}

太郎  しかし,いつも合併すると和になるでしょうか.

長さ,質量,時間,物質量,面積,体積,等はこの性質をもっています.しかし,濃度は明らかにこの性質をもっていません.2種類の濃さの塩水を混ぜると,濃さは2つの濃さの中間の値になります.

南海  そこが量を考える難しいところだ.3g/cm${}^3$の塩水と5g/cm${}^3$の塩水を混ぜあわせても,8g/cm${}^3$にはならない.その通りだ.しかしまた,濃度3g/cm${}^3$と濃度5g/cm${}^3$に対して,その和となる濃度8g/cm${}^3$が考えられなければならないことも確かだ.それをどのようにつくるのか,ということが問題になるということは,逆に濃度の和を考えている.

このような濃度などの和は,長さや重さのようにものの合併から量の和へとすすんだ場合からの類推であることはその通りであるが,量はものそのものではない.

太郎  前に速さで言われましたが,10m/秒で動くものと2m/秒で動くものをつないでも12m/秒では動きません.しかし,10m/秒で動くものの上に2m/秒で動くものを乗せると12m/秒で動きます.そうか.量は量である以上和があって,それをどのように実現するかは,また別の問題といえるかも知れません.

南海  私が昔勉強した水道方式では,ものの合併が量の和になるとき,それを量の性質と考え,そのような量を外延量といい.濃度のような量を内包量といった.いま考えると,量の性質と,ものの性質の間に混同があった.少なくとも自分の理解ではそうであった.

「ものの量をはかる」という以上,はかられた結果得られる量は,ものから一定の側面の切り出しがある.切り出される量の満たすべき性質として,和とそして2つの量の間を和でつなぐ量としての差を要請するのは,自然であるといまは考えている.

計測可能

南海  公理2-1から,和のくりかえしが可能になる.$A$の和$A+A$$A$の和($A+A$)+$A$をとる.公理2-1からこれは$A$+($A+A$)でもあり,和をとる順序は関係ないので$A$+$A$+$A$と書ける.この和をとることをくりかえして

\begin{displaymath}
A+A+\cdots+A
\end{displaymath}

のような量が再び$X$に属することになる.

太郎  これは要するに$A$の何倍と言うことですか.何倍と言うことは,そこで自然数が出てきます.

南海  そう.くりかえしという操作のうちに,実はすでに自然数が前提されている.自然数は,公理的にその構造を定めることが出来るが,量の構造を考えるためにも,あらかじめ自然数は用意されてなければならない.

われわれはすでに自然数はもっているものとする.量$A$と量$A$の和と$A$の和をとる.この操作を$n-1$回くりかえし得られる量を$A$$n$個分であるからこの順も考え$An$と表そう.

これを準備して,少し考えよう.これまでの公理から直接比較と間接比較は可能である.しかしこれだけでは,人間が得た量の性質をすべて公理に出来ているとはいえない.

太郎  これまでのことからすると,単位が存在することですか.

南海  直ちに単位の存在にはならない.単位とは,$X$のすべての量がある量$U$を用いて表せること,等号の成立まで要請するが,一気にそこまではいかない.あくまで大小の区別である.

太郎  $C$が単位なら,2つの量$A<B$と量Cに対して,$A<Cn<B$となる自然数$n$がある,ですか.しかしどんな$C$でもよいとすれば,自然数$n$ではダメで有理数でないといけないし.

南海  いいところに来ている.有理数の問題になるその前提として,量の集合に次の公理を加える.

公理3     $X$の任意の2つの量$A$$B$$A<B$のとき,

\begin{displaymath}
B<An
\end{displaymath}

となる自然数$n$が存在する.

これをアルキメデスの原則という.$X$はアルキメデスの原則が成り立つという.

『解析概論』では「アルキメデスの原則」『量の世界−構造主義的分析』(銀林浩著)では「アルキメデスの公理」,また手元の微積の参考書では「アルキメデスの性質」となっているものもあって一定していない.ここでは『解析概論』の言葉を使う.

これをなぜ「アルキメデス」の名を冠して呼ぶのか.それは『数学対話』「定積分の定義」の中にあるアルキメデスの求積法を見てほしい.そこでこの性質が使われている.

後に実数の定義をおこなった上でアルキメデスの原則をもういちど取り上げ,そこで示すが,アルキメデスの原則を満たしかつ順序の定義された量は,有理数体を含みかつ実数体に埋め込むことが出来る.

以上が量の満たすべき基本的な性質だ.

連続性

南海  このように量を定義してくると,計量法に定める量以外に重要な量があることがわかる.それは個数である.人口も立派に量の定義を満たす.このような個数の集合$X$も量の公理を満たす.これを他の量と区別する.それを量自体の側から行うにはつぎのようにする.

量の集合$X$の部分集合

\begin{displaymath}
\{\ A-B\ \vert\ A>B ;A,B\in X\ \}
\end{displaymath}

を考える.これは普通にいえば正の量の集合ということだ.われわれの量の集合$X$は,方向ある量も含めているので,このようにした.

記号$\ge$$>$または$=$のいずれかが成り立つことを表すとする.この部分集合に最小の値が存在するとき,つまりある量$A-B$で,他の任意の$C-D$に対して

\begin{displaymath}
C-D\ge A-B
\end{displaymath}

が成り立つようなものが存在するとき,その量の集合は分離的であるといい,各量を分離量,または離散量という.このような最小の元が存在しないとき,その量の集合は稠密(ちゅうみつ)であるといい,各量を稠密量という.計量法で定める量はすべて稠密量である.

稠密というのは任意の2つの量$B<A$に対して,$B<C<A$となる量$C$が量空間$X$に存在することをいう.$D-E<A-B$となる量$D-E$をとる.そして$C=B+(D-E)$とおく.確かに$B<C<A$となる.

太郎  稠密量とは聞き慣れない言葉です.

南海  かつて読んだ遠山先生や数学教育協議会の文書では,分離量と連続量という分け方をしていた.『量の世界』(銀林浩)では「最小限がある場合(離散的な場合),「最小限がある場合(連続的な場合)」という記述がある.

しかし,例えば数直線で,座標が有理数である点を考え,原点からその点までの方向のある量の集合を$X$とすると,$X$は以上の公理をすべて満たす.そしてこれは正の最小要素をもたない.しかし無理数は入っておらず,連続ではない.つまり分離的でもなく連続的でもない量の集合がある.よって分けて考えるべきだ.

『数学雑談』(高木貞治)に,直線から1点を取り除くと連続性は失われる.しかし稠密性は失われない,との例をあげて「稠密は連続に及ばざること遠しである」とある.分離量と連続量という分け方は正しくない.分離量と稠密量であり,稠密量の中にさらに連続量という区分けがある.

太郎  なるほど.しかしそれではいったい連続とは何ですか.

南海  デデキントはこの問題を考え続けた.そしてついに1858年11月24日,次の公理を立てるならば,連続性をつかむことが出来ることを見出した.このあたりのことはデデキント自身が『数とは何か』で語っている.また上記『数学雑談』にも詳しい.「永らくに考えに考えて遂に到達した」とデデキント自身が言っている.このような苦労の末につかまれた連続性である.稠密性とのちがいをしっかりつかみたい.

量の集合$X$の量を二つの集合$Y$$Z$に次の条件を満たすように分ける.

\begin{displaymath}
X=Y\cup Z,\ A\in Y かつ B\in Z なら A<B
\end{displaymath}

このとき,$Y$$Y$で最大の量があるか,または$Z$$Z$で最小の量があるか,いずれか一方が成立する.

これをデデキントによるの連続の公理といおう.

太郎  そうか.有理数の集合$\mathbb{Q}$で,

\begin{displaymath}
A=\{x\ \vert\ x<\sqrt{2}\},\
B=\{x\ \vert\ \sqrt{2}<x\}
\end{displaymath}

とすると,$A$に最大の量はなく,$B$に最小の量はない.しかし実数では,こういうことは起こらない.それが実数を特徴づける.

南海  そういうことなのだ.


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Aozora
2013-02-17