up 小さな歴史

 あとがき

  私の後半生は、高校生に数学を教えることを生業としながら、電脳空間の仮想学園である『青空学園』の場において、日本語の再定義とその言葉による教育数学の構築を続けることであった。

  それは、日本語に伝えられてきた里のことわりをもういちど取り出し、これからの世、具体的には非西洋にあって最初に近代化したこの日本語世界の将来を見すえ、その時代に向かう人の礎となることを、念頭においた営みである。

  党派の活動を終え残務を処理してからしばらくは、授業以外は机上の仕事に集中していた。それからおよそ十年を経て、このような営みを続けているひとりの人として、再び世の人との実際のつながりの中に出てゆくことをはじめた。

  まさにそのとき、東北大地震と東電核惨事が起こった。私はこの惨事のなかに、今の世のあり方を根本から変えなければならないという声を聴いた。しかし、為政者は逆にこの災害に便乗して、世をいっそう資本の論理が露骨にまかり通りうるものに変えてきた。

  この動きをおさえ、私は、一方でなし得るところからこのような動きに対抗するべく起こってきた人々の運動に加わるとともに、一方で自らの住む地元で地域の人々の輪を深めるための仕事に力を割いてきた。それをとおして多くのこを考え学ぶことができた。

  二〇一三年の秋、器質化肺炎を患い、五週間の入院を経て完治まで一年かかった。安易に漢方薬を飲んでいたことと夏の疲労の蓄積の結果ではないかと思う。それ以降、消化補助剤以外の薬は飲んでいない。

  それらのうえに、二〇一六年から二〇一八年にかけて、いくつかの雑誌に寄稿するとともに、『神道新論』と題した書を世に問うた。その書のあとがきにも書いたが、この一冊を書くのに二十年かかったという思いと、これは身を削って後の世代への遺言を書くようなものではないかという思いが重なることであった。まさにこれは、私の人生の一つの集約であり、微力ではあるが、この世に、開かれた問いを投げおくものでもあった。

  時代の中でなにがしかの仕事をして生を終わればそれでよい。人というものは、次の世代の人生が幾ばくかはわれわれの世代より深まったものとなってほしいと思うものである。これからは、いのちあるかぎり、青空学園をわが里にして、ここを拓き耕し、小さな歴史が大きな歴史を動かすという人々の動きの一端をにない、なし得ることをし続けて、そして土に還るのみであると考えている。それが人生の「結」である。

  人生をともにしてきた家族と困難なときに助け合った友人に心から感謝する。


Aozora Gakuen