2017年,そのことを痛感する経験をした.
こちらが教えた生徒で国立大薬学部の学生になったものに久しぶりに会った.大学の数学はおもしろいかと聞くと,解析の授業で 論法を習ったが,何も分からないと言う.大学の先生はどう言っているのだと聞くと,「数学を専攻するもの以外は分からなくてよい」と言ったというのである.
数学教育で 論法について,講義でこのように言われるかぎり,日本で iPhone が生まれることはない.青空学園数学科の『解析基礎』にしたがって,ここで模擬講義をする.
数列が数に収束することは,高校数学では 「がかぎりなく大きくなるとき,はにかぎりなく近づく」ことと定義し, と書き表す.
ここで学生自身に考えさせる.一定の時間を経て,次の解決方法を提示する.
数列が数に収束することを次のように定義してはどうか.
任意の正の実数対し, なら となる自然数が存在する.
高校教科書で習った意味で収束するとき,これがなりたつことを確認する. そして,この命題のなかには「かぎりなく」や「いくらでも」という言葉がないことも確認する.
これをもとに数列の和差や積に関する基本的な性質を証明する.続いて連続関数の定義に進む.
関数は実数の部分区間で定義されたものとする.実数の区間で定義され実数値をとる関数をとする.は集合から実数の集合への写像に他ならない.以下はこのような関数であるとする. この区間で関数が連続であることを次のように定義しよう.
関数と区間の点がある. 任意の正の実数に対して,正の実数で
となるものが存在するとき,関数はで連続である,という.
教えるものがまずつかみ,そして少し時間をかければ,以上のことを伝えることが出来る.そして,たとえ自分では 論法を構成できなくても,何が問題であるかをつかむなら,講師が示す解決方法を「うまいな,おもしろいな」と納得することができる.
機会あれば,これを実際に講義してみたいものである.
もとより,この論法が確立するまでには幾多の試行錯誤があった.その歴史は『 論法とその形成』[(3)]に詳しい. 論法もまた,歴史的制約の中での理論であり,それを最終的な方法であると言うことはできない.しかし,まずこの方法を習得し身につけることが,現代において数学を学ぶことことの意味の一つであり,この段階をふまえることは不可避である.
大学初年級の解析学ではここで躓くことが多いと言われる.まずそれは教える側の力量の問題として考えねばならない.そのうえで,学生にも考えてもらいたい.この論法が苦手な人は,いちどこれを用いずに収束性を厳密に論じてみようとすればよい.やってみればただちに 論法の重要性がわかる.
まず自分で厳密な組み立てようとする.そして,やはり有限の言葉でこれをつかもうとすれば,これしかないことを納得する.この過程を自ら経験することによってはじめてこの論法の重要性がわかり,日常的な言語感覚や論証感覚を省みることができる.
命題の意味を理解し,それが成立する根拠を問うことをつねに行う.このような問いかけと,そしてそれに応える方法を模索し確立する. 論法をとおして,学生自身に考えさせつつ,このようなことが講義され,その方法が方法としてまとめられる.このような蓄積がなされる講義でなければならない.