玄関>転換期の論考

■ 根拠を問う 12/10/16

高校以来、いろんなことに関心を持ち、世間的に見れば仕事もまたいろいろした。そのなかでひとつ一貫して持ち続けてきたのは、根拠を問う、ということだった。高校時代に数学をとおして、根拠を問うということを学んだ。「f(0)<0、f(1)>;0でf(x)が連続なら、0<c<1でf(c)=0となるcが存在する。その根拠は?」、「この問題は解ける。その根拠は?」等々考えることで、どのような言明に対してもその根拠を問うようになった。その結果いろいろ仕事を変えることにもなったと言えるのだが、それはそれでよい。高校生に数学を教えることを生業として、途中10年ほど寄り道もあったが、都合30年ほどやってきた。

この40年、高校数学はまずい方向に一貫して変えられてきた。そのことは『解析基礎』の「高校解析の現状」に書いた。このような中で、高校生に教える以上、教えるものの責任として、教えている内容の根拠を掘り下げて書きおきたいと考えた。教える内容の少なくともその周辺までをおさえなければ、本当には教えることはできない。高校数学の土台のところを掘り下げ、考える場を作る、これが青空学園のそれこそ根拠であった。高校数学の範囲で、意欲的な高校生や教える立場のものが根拠をさかのぼるということに関しては、ほぼ青空学園にあるものでなされている。確率の「大数の法則」、方程式の解ける根拠を問う「ガロア理論」、これがまだ残っている。そして公理的数学の立場は「対角線論法」で書いたが、これはもういちど手を入れなければならない。こうして考えたことごとをWEB上においておくことで、根拠を問おうとする高校生や教員の何かの役には立つだろうと考えてきた。やってみるとおもしろく、実のところ自分自身の楽しみでもあった。

日本の教育は明治以来一貫して、根拠を問うことを教えないできた。むしろ根拠を問わないように問わないように小学生の時期から大学教育まで、生徒や学生を誘導してきた。根拠を問うことなく結果を受け入れる。そうすることが、近代日本の出世の道であった。こうして官僚制と原子力村が形成された。これが日本の旧体制である。根拠を問うことは、現実を批判することと一体である。「原発は安全だ」に対して、「どうしてそんなことが言えるのか。その根拠は?」と問い、自ら少し調べれば、たちまち安全の根拠は何もないことがわかる。ところが研究者の世界でも、地域住民の中でも、根拠を問うものはつねに少数派であった。それは日本の近代教育の結果であり、その果てに福島の核惨事が起こった。

19世紀は、ワイエルシュトラスの函数論やカントールの集合論、デーデキントの実数論、そして20世紀初頭の数学基礎論へ、数学の根拠が問われた時代であった。19世紀は同時に、マルクスやエンゲルスが資本主義の原理的な批判を行った世紀でもあった。二つはその根底でつながっている。それでもまだそれは西洋世界内でのことであった。そして今、資本主義が世界大に行きわたった時代に、再び世にあるものの根拠を問うことが求められている。日本においては、それがいわゆる原子力村に対する原理的で根底的な批判である。

近代日本の学の批判、そのヒントを得ようと、近代フランス初頭において、異端と言うべき立場にあったキリスト者・パスカルの数学を読み解いてきた。核惨事を経てそれはより切実になった。かつて北方フランク王国に亡ぼされた南フランスの地中海文明、グノーシスとカタリ派がどこかでパスカル、そしてシモーヌ・ベイユにつながり、伏流のような「もうひとつのフランス」をつくっており、そこに近代を超える一つのヒントがあると考えてきた。それを踏まえて、しかしあくまで数学から入ろうとやってきたのが『パスカルの定理と幾何学の精神』である。これはまだ未完である。

どこかで区切りをつけてまとめなければならないのだが、ポンスレの定理の根拠を問うところで、深みにはまっている。ほとんどの高校数学の問題は、根拠を問いさかのぼってもここでというところに至る。ところがポンスレの定理は底なしである。いや底なしというのはこちらの勉強不足のせいであって、要するに現代数学に直結している。グリヒスがポンスレの定理を再発見したのは1978年のことだった。これを総括的に書いた本ということで、けっきょくVladimir DragovicとMilena Radnovic の本『Poncelet Porisms and Beyond:Integrable Billiards,Hyperelliptic Jacobians and Pencils of Quadrics』をアマゾンに注文した。2011年の本なのでまだ新しい。もうすぐ来るだろう。そこからがまたたいへんだ。

 「根拠を問え。ここに科学がはじまる。根拠を問うとは、すべてを疑い、現象を根本において捉えることである。さらにその根拠をも問い直す。この永続運動が科学である。科学精神の復興は青空学園の願いです! 」とは、青空学園のHPの玄関の言葉であるが、終わりのない永続運動として根拠を問うこと、これがわれわれの知的風土となることを願っている。数学を本当に考えるなら、それは必ず根拠を問うことに至らざるを得ない。そういう数学を根づかせたい。われわれは近代日本の愚民政策に抗って自ら賢くならねばならない。東電核惨事を経て、いまこそこれが切実な問題であると考えている。