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■ 国家秘密法を取りまく情勢 13/12/07

 2013年12月6日、「特定秘密保護法案」と呼ばれる国家秘密法が成立した。国会会期の終盤になって、多くの国民が反対に立ちあがり、連日、各地で反対集会などが開かれたが、衆院参院で多数を占める自民党・公明党は、それにかまわず採決を強行した。

 最初に確認すべきは、秘密保護法は基本的人権に照らして不当である、ということだ。われわれはたとえこの法が施行されても、従来どうりに基本的権利を行使する。この法律は現憲法と矛盾し、安部政権がめざす改憲草案の趣旨に一致する。

 さてこれは、自民党政治の強さなのだろうか。そうではない。結論として言えば、これは戦後の自民党の政治の最終局面で現れた現象であり、その基盤の脆弱性を露わにするものである。

 おそらく安倍首相は、半世紀前、日米安保条約を改定した祖父でもある岸信介首相の姿があったのだろう。あのとき自民党は、反対運動の激しさにもかかわらず、「声なき声」は自民党を支持していると、改定を強行した。

 そして、岸首相の後を継いだ池田勇人首相は、「所得倍増」を掲げ、高度経済成長路線をとる。それによって国民をひきつけ、安保闘争での痛手を回復、その後長期にわたり自民党政治を継続した。

 今回もまた、与党議員は、いわゆるアベノミクスで恩恵を受ける多数(本当は極少数)の国民は、声をあげないけれども自民党・公明党を支持していると考えている。まずそれ自体が事実でない。さらに、半世紀前と今日では、日本を取りまく客観的状況がまったく違っている。

 半世紀前は、帝国アメリカは戦後世界の覇者として強大であり、その目下の同盟者となり、経済復興に専念することは、敗戦国日本の支配層にとって、いちばん利益の大きい選択肢であった。そして、敗戦から15年、ようやく社会の基盤を回復したときに、そこから高度経済成長に移ってゆく現実の条件があった。

 今は違う。ベトナム戦争での敗北の結果、ドルは金本位制を離脱、その後、軍事力と政治力を配景に、資本の論理をそのままに弱肉強食の経済運営を続けてきた。それが2007年になって恐慌となり、その後は実体経済とは関係なくドルをひたすら印刷し供給。見かけだけ経済を復興させてきた。

 しかし、このような政策は必ずドルの弱体化を招く。2014年には再び恐慌が再来、ドルの価値は大きく下がるとみられている。アベノミクスは、円の価値を守ろうとする従来の日本銀行の基本政策を投げ捨て、アメリカにならって円を過剰に市場に供給し、一時の経済回復を演出しようとするものでしかない。

 そして2014年からは消費税増税である。アメリカ経済の失速とともに、日本経済もまた失速する。したがって、半世紀前のように、経済を拡大することによって、今回の秘密保護法を糊塗することは出来ない。その意味で安部政権は、岸政権の茶番政権である。

 アメリカにとって、日本の金融資産は、恐慌を少しでも先延ばしにする貴重な資源である。日本政府にNSCや秘密保護法を急がせたのは、これによって、郵政などに蓄えられた国民の金融資産をアメリカの産軍複合体とその金融資本にに差し出すことが、一つの目的であるからだ。

 安部政権は、客観的な条件を無視しても、再びの軍国主義をめざしている。国民主権を基礎とする現在の日本国憲法改定し、全体主義的な旧憲法の復活を、その基本政策目標としている。これが、安部政権の側からNSCや秘密保護法を制定した、基本の意味である。

 それは、日本の官僚を中心とする旧体制の意志であり、それを実行しているのが安部政権である。この法によって、日本の公安警察は,これまでやってきた事々に,いわばお墨付きをもらう形になる。今後、日本国内は警察国家のようになってゆく.

 しかしながら、世界は多極化しており、日本が再びの軍国主義を推し進める余地はない。2007年、当時の安部政権に対して「ヤルタ・ポツダム体制に回帰するアメリカと孤立する安部政権」で指摘したことがある。アメリカ自体に、産軍複合体の勢力と多極化に対応しようとする勢力の矛盾があり、今はヤルタ・ポツダム体制と言うべき中国との共存をめざす勢力が優勢である。

それに対して安部政権は、世界でただ一つアメリカ産軍複合体の政権そのものである。だから、今は「多極化体制に進む世界と孤立する産軍複合体とその安部政権」というべきである。そして安部政権は日本と中国の対立をあおる。しかし日本と中国は経済的にはもはや離れがたく結びついてお,、このように対立をあおれば、政治と経済はますます乖離するばかりである。

 今回の国家秘密法制定の過程で、野党やマスコミは、自らのアリバイを示しておくために、反対した。しかしそれは結局のところ、本気ではなかった。本当に反対するのであれば、もっと大衆の中に出て、それを組織するものでなければならない。しかしそうではなく、野党は議会の中に閉じこもり旧態依然とした小手先の議会政治を行ったに過ぎない。

 それに対して、今回、安部政権の全体主義を見ぬいた多くの国民が、国家秘密法に反対した。孫子を戦争にやるな、この思いが参加者の共通の思いであった.この力は大きい。最後に歴史を決めるのは、このように立ちあがった人々の行動である。国家秘密法制定に反対する運動の中で、このような歴史主体が形づくられはじめた。これまで積みあげられてきた反原発運動と繋がって、裾野を広げてゆく。

 ここに,歴史の未来がある。主権者としての国民の手で、安部政権を倒す。その主体が今日の情報技術の下で、実際の組織としてどのように形成されるのか。この試行錯誤が続く。それでも「田中龍作ジャーナル」の「3年後には政治をひっくり返すぞ」などを読むと、新しいことがはじまっているの知って、やはり嬉しくなる。