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■ 転換期の智慧 18/11/11

 二〇一八年は明治維新から百五十年の節目の年であった。そして、日本のいわゆるアベ政治がゆきつくところまでゆきついたときでもあった。

 この百五十年とはまさに日本における資本主義の時代である。明治維新は、当時すでに帝国主義の段階に入っていた西洋世界からの圧力のもと、急いで近代化、つまり資本主義化を導入した資本主義革命そのものである。そして、西洋帝国主義を真似てアジア・太平洋地域への侵略をすすめた。しかしそれは十五年戦争の敗北に帰結した。

 戦後体制は、その敗北を総括することなく、戦前からの官僚制を残したまま作られ、対米従属の下での経済発展を推し進めた。そして終にはあの東京電力福島発電所の核惨事に行きつく。これは十五年戦争の敗北につぐ二度目の敗北であった。だがここから教訓を引き出すこともまたなされなかった。

 日本の近代は、取り返しのつかないことごとをなしながら、何ごともなかったかのように繕う欺瞞の近代であった。それどころか逆に、自民党・公明党はこれをテコとして民主党から政権を再奪した。そして生まれたのがアベ政治である。

 アベ政治とは安倍晋三個人のことではない。資本主義近代のなれの果として現れたものがアベ政治である。資本主義が終焉にむかうなかで、排外主義や偏狭な民族主義が世界のあちこちに現れてきている。日本ではそれがアベ政治となって現れた。

 そしていま、日本は、アベ政治に連なり、これをあやつる人でなし達がこの世を差配し、アメリカと大域企業に貢ぐために、膨大な軍備費、一貫したハコもの行政をおこない、その一方で,社会保障費、教育保障費、そして何より労働対価を、大きく削減してきた。世を支え働く人々は、ものも心もまったく貧しいところに追いやられている。これは資本主義日本の世の衰退そのものであり、こうしていったんは失敗国家となってゆくことが避けがたい。

 今日世界では、排外主義的一国主義、弱肉強食の大域資本主義、そしてそして下からの人を第一とする諸運動、この三つが互いにせめぎあっていてる。近代日本や西欧の帝国主義に苦しめられ、それに対して闘い、戦後はまたアメリカを後ろ盾とする独裁政権とも闘ってきたところが、今日の歴史でははるかに先を行き、帝国アメリカの衰退を見越して次の段階の準備をしている。中国やロシアそして欧州もまた、アメリカ後の世界の準備をはじめている。トランプのアメリカ自体が、覇権国家から脱却しようとしている。これに対して、日本列島弧の政治は古い体制のもとでの延命を図るばかりで、歴史の現在からはるかに遅れている。

 しかし、二〇一八年にいたる数年はまた、この日本いおいてもようやくに人々がアベ政治を終わらせるために立ちあがったときでもあった。ここからの活路は、人が経済に使われるところから、人が経済を使いこなすところへの転換以外にない。三つ巴の対立構造をのりこえる道はここにしかない。この転換をまことのものとするためには、固有性に立脚した、固有性の共存する場としての新しい普遍性を生み出さなければならない。

 日本においては、近代資本主義が覆いかくした基層の日本語とそこに伝えられた智慧をもういちど掘り出し、人々のものにすることがなければならない。これは言葉だけのことではない。近代日本の人々の心もまた、近代以前と断絶している。古くから人々の生きる心と形を里のことわりという。これを言葉とともに掘り起こさねばならない。そうしなければ、世を革め次の段階を開かんとする人々の思いを現実のものにすることはできない。そしてそれは、まことに長い闘いである。

 『神道新論』は、日本語世界においてそれを準備する試論である。これまで青空学園で積みあげてきたことごとをふまえ、そこでのさまざまの制作物に加筆し、そして再構成したものである。島崎藤村の『夜明け前』を読み、「あのすなおな心」と「かみ」を古来よりの日本語のうちに探究し、そこに伝えられてきた智慧を読みとる。このとき、まことの神道が現代によみがえり、人々を資本主義の次の段階へと導く。それが神道の五項目の教えである。これはまた、里のことわりの柱ともなることである。『神道新論』の五項目を要約すると次のようになる。

 第一に、人はたがいに、尊敬しあい、いたわりあえ。人の力は、世にかえしてゆかねばならない。今の日本では、人は金儲けの資源でしかない。
 第二に、言葉を慈しめ。近代日本の言葉の多くは根をもたない。これでは若者の考える力が育たず、学問の底は浅い。日本語の基層からこれを見直せ。
 第三に、ものみな共生しなければならない。核発電所はかならずいのちを侵す。すべからく運転を停止し、後の処理に知恵を絞れ。
 第四に、ものみな循環させよ。拡大しなければ存続しえない現代の資本主義は終焉する。経済が第一の今の世を、人が第一の世に転換せよ。
 第五に、たがいの神道を尊重し、認めあい共生せよ。戦争をしてはならない。専守防衛、戦争放棄、これをかたく守れ。

 古来より人々は、この教えのもとに、ともに力をあわせて働き生きてきた。アベ政治の政策は、これとは真逆のものである。神道の教えに反するアベ政治ということは、まだまだ一般的には認識されていない。しかし、今後ますます日本が没落してゆくなかで、なぜここに至ったのかを問う声は大きくなり、日本近代の虚偽への認識も必ず人々のものになり、そこからまことの神道もまた再発見されてゆくだろう。

 世が大きく動いてゆく転換の時代にこそ、言葉を大切にして語りあわねばならない。人々が、新しい時代の内実とそこに至る道について、心から語り、そしてともに闘うことを願っている。