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近代の二重性

南海   恐慌は経済の運動であり、それ自身では世界を転換しません。恐慌期には資本主義の本性がむき出しに現れます。しかしそれによって、資本主義を資本主義として対象化してとらえる意識もまた一般化します。

恐慌は、人間としての生存が資本主義のもとで否定される人々を横につなげる。資本主義のもとでは人間としての存在と尊厳が奪われたままであるからであり、人として生きるために闘わざるをえないからです。もちろんそのような人々への分断の攻撃もまた厳しくなる。弾圧も酷くなる。それに対抗していくために、思想もまた鍛えられます。

現代の転換をになう思想を模索するという意味で、『壊れゆく世界と時代の課題』(市野川容孝、小森陽一編、岩波書店、2009.3.26)という最近の書は注目すべきです。いくつかのテーマについて基調報告と対話で構成されています。

北原   現代を『壊れゆく世界』ととらえるところに本書の立ち位置が表されています。それは現在が根本から変革されねばならない世界であると見るという立場の表明だからです。その一方で本書のいずれの議論も煮つまってはいません。壊れゆく世界にあって何を築くか、あるいは壊れゆく世界のなかで人間はどう生きるか、ということまでは討論されず、問題を提起したままになっています。

南海   本書は、昨秋の金融恐慌勃発の前に討論は終えられていたようですが、起こったことは正確に予見しています。第1章「アジア/日本を貫く<近代>批判のために」では次の発言にあるように、近代を日本の近代批判ではなく、近代そのものの批判として展開しなければならないという意見です。

【基調報告】米谷匡史
こういった現状がある一方、中国、韓国、台湾の側にも近代への欲望が渦巻いていて、福沢はむしろアジアの近代化に協力してくれた貢獣者だとして肯定する議論も出てきてしまっています。歴史修正主義は日本だけにとどまらず、アジアで連関しています。
となると、ここで問題なのは日本の近代の批判だけではない。アジアと日本を貫いて作動する近代の力を、アジアと日本の間主体的な相互連関のなかで批判していく方向へ、さらに批判を深めるべきではないか。それが、私の基調報告の趣旨、構えになります。

北原   これはつまるところ近代の二重性の問題です。近代の二重性とは何か。それはブルジョア革命の二重性です。近代とは、一方で基本的人権と生存権、政治的自由などのいわゆる民主主義の実現を旗印にする。しかし他方またブルジョア革命は資本主義に道を開くものであり、資本の支配の拡大である。資本本来の論理は金儲けのためには手段を選ばないということであり、民主主義とは本質的に相容れない。

この二重性は、どのような過程をたどろうと、近代資本主義が導入されてところでつねに存在するものです。結局はこの問題であり、それが今ほど切実になったときはないのではないか。次の意見も当然です。

国境を越え連鎖する近代の暴力性 姜尚中
いままでの近代日本の差異化を徹底してやってこなかったから、国境の向こう側も見えなかった。それをいま、徹底してブレイクスルーしないといけない。それをブレイクスルーしたときに、国境の向こう側もよく見えてくる。そういう作業をやらないと、米谷さんがいったように、アジアを主体化するか、日本を主体化するか、それだけの違いに陥ってしまう。フーコーではないが、起源の待つ暴力性を明らかにしていかないといけない
戦後日本のはじまりについて、玉音放送のことは小森さんが書いていますが、昭和天皇の人間宣言にしても五ヵ条の御誓文に則るといっていて、やはり明治維新を絶対的なアドバンテージとしているわけでしょう。なので、そのアドバンテージを崩されると、天皇制の起源手法は成り立たなくなる。

南海   近代の二重性ということはわかります。前の対話の中でも「人間を基礎とするということは、フランス革命の理念であり、革命はこの理念のもと人民の力を集めて王制を打倒したのです。しかしその後、ブルジョアジーは労働者や農民を裏切る。」ということを確認しました。

北原   それは近代ブルジョア革命の一般的な道筋です。明治革命も同じことでした。典型は隊長相楽総三に率いられた赤報隊のたどった経過です。赤報隊が掲げた「年貢半減」はまさに「生きさせろ」という声に応えたスローガンだったのです。この旗の下に民百姓は東征する官軍を歓迎した。しかし明治革命の帰趨が決するや、大商人の意図を受けた岩倉具視らは、赤報隊を偽官軍として除く。これは私の「『夜明け前』を読む」に詳しく書いたところです。

ブルジョア革命の常道として、明治革命でも権力が確立するや、人間原理は圧殺された。日本近代の諸問題は、このとき圧殺された人間原理をいかに再構築するかという問題を基調としているのです。

南海   しかしその上で、二重性が理解されたとしてもそれで相楽総三の恨みが晴れるわけではありません。

北原   そうです。近代日本のなかでどれだけに人が近代の二重性のなかで恨みをもって死んでいったことか。それは二重性の理解とは別の問題です。この恨みは個人的な恨みではありえません。死者の恨みは、高いところからの恨み、階級的な恨みです。二重性を打破し、資本の非人間性を撃つ。これが本当の意味での二重性の批判です。あるいは現実の批判です。

この意味で近代の二重性を批判する立場というのは、二重性の一方の立場、人間的権利をうち立てようとする側の立場に立つことです。その立場は、結局は階級的立場としかいいようのないものです。つまり階級性のある現実の闘争しか真の批判はありえない。批判は変革の闘いであるとき、はじめて真の批判です。

ですから、階級性を明確にしないところでの近代批判は、民族の対立問題に陥ったり、あるいは良心的だが現実を変える力のない批判でしかあり得ないのです。

南海   かつて日本が中国を侵略したことに対し、「日本は戦争責任をとらねばならない」という議論が常にあります。日本の中の良心的な人々は「日本は中国に謝罪すべきだ」といい、日本の中の右派の人々は「それは自虐的だ」と批判した。

この議論はいずれの側も問題を民族の対立でとらえ、階級の問題としてとらえていない。そのために近代のもつ二重性に双方が絡め取られている。この点に関してすでに次のような議論をしました。


北原   国境を越えるということについて一つ考えるべきことがあります。それは日本と中国や日本と韓国の間にある問題です。中国では小泉首相の靖国神社参拝など日本政治に何か軍国主義の復活に向けた動きがあると、すぐに反日デモなどが起こります。それ自体は当然なのですが、それに対して日本の側でも反中国の世論が広がります。江沢民が中国共産党総書記の時代におこなわれた歴史教育は「日本民族は中国民族に残虐なことをした」という民族主義にもとづくものでした。その教育で育った世代がいま社会の中心にいる。

一方、四川大地震での救援活動で日本人を見なおしたり、また日本漫画の深い浸透などがあり、中国では日本をどのように見るか、大きな分岐が存在します。それは日本側でも同様であり、資本主義中国が覇権をうち立てていこうとすることに対する恐怖心を背景にする中国脅威論や、その裏返しである中国の貧困や環境破壊をことさら取りあげる論と、日中戦争の教訓から中国との友好を求める論がともに存在しています。しかしそれらは、中国民族と日本民族の問題として考えているという基本的な共通点があります。

ここで私は、日中間の問題は階級の問題であって民族の問題ではないといいたいのです。毛沢東の時代にはこの原則が打ち立っていた。日本軍国主義は日中人民の共通の敵という考え方で貫かれていました。問題なのは軍国主義の復活をめざす日本の保守層であって、人民は相互に信頼しうる。日中戦争での日本軍の残虐行為は、軍国主義の戦争が生みだしたものであり、戦争がいかに人間を変えるかという問題であって、民族固有の特質ではない。日中の人民は協同して日本軍国主義の復活と闘わなければならない。これがかつての中国共産党の立場であり、私はこの考え方を支持します。


北原   近代の二重性を乗りこえるのは、階級の立場を獲得する以外にはない。先の書で米谷氏は「ここで問題なのは日本の近代の批判だけではない。アジアと日本を貫いて作動する近代の力を、アジアと日本の間主体的な相互連関のなかで批判していく方向へ、さらに批判を深めるべきではないか。」といわれます。これは結論的にいえば、問題を階級問題としてとらえることではないのか。

北原   相楽総三から連綿と続く近代日本の支配層に殺された人々の恨みと、日本の侵略で殺されたアジアの人民の恨みとが結びつく。

第一
近代は、封建制に対して人間としての権利を掲げて闘い革命をとおして成立する。資本家とその政権は建前としての人権は掲げつつ、実際にはこれを裏切る。ここに近代の二重性が生まれる。
第二
近代資本主義は事実として、たちいかなくなりつつある。近代日本のもとで苦しんだ人びとの怨念を晴らすときは近づきつつある。
第三
しかし、可能性の現実化はまだ未解決である。世界中でわき起こる、人間として生きさせろという叫びと行動、その連帯、ここにその萌芽がある。

南海   第三項に関して、最近『闘争のアサンブレア』(廣瀬純+コレクティボ・シトゥアシオネス著、月曜社、2009-3-1刊)を読みました。本書の帯に

失業の先にあるのは「求職」「再就職」だけではない。職場を占拠せよ、労働を拒否せよ、偽通貨を流通させよ! 闘いの都市ブエノス・アイレスが、いま、私たちに呼びかける。
政治経済運動の新たなる水平的・自律的集団性(アサンブレア)の構築へ。21世紀の始まりとともに、ネオリベラリズムに抗して立ち上がったアルゼンチンの失業労働者や職場占拠労働者、都市中産階級たちの様々な実践と挑戦を紹介。《生活=闘いのための作業仮説》をめぐる、熱き対話集。
とあるように、2002年秋のアルゼンチンにおける民衆蜂起と人民権力=評議会(アサンブレア)に解き放たれた人びとの思想と行動の記録、そしてその後の経過に関する対話です。

大変感動しました。このような経験こそが、「量の拡大によらない新しい人のつながり、社会組織への試行錯誤」です。

北原   人びとの思いと力が解き放たれた祝祭空間は、かつて全学共闘会議にもありました。あの解放の空間、言葉がそのまま力をもつ場、私もその場を経験しました。アルゼンチンはそれをはるかに深くまた大きな規模で出現させたものです。しかしまた、この大きさは、それだけ民衆の経てきた苦しみの大きさであることを銘記しなければなりません。

アルゼンチンでは新自由主義と軍事独裁が合わさった体制が70年代後半から80年代前半まで続いたのです。日本などより四半世紀前に南米では新自由主義がすすめられ、人民の生活は困難を極めたのです。この苦しみの上に2002年秋の蜂起がありました。

祝祭空間はそれだけでは持続しません。アルゼンチンもまた日常に戻りました。しかし解放された記憶は永遠です。人民蜂起のこの経験がさらに積みあげられ共有され、その中から持続の智慧が生まれてくることはまちがいありません。このアルゼンチンの経験を日本に伝えた本書は、それ自体が経験の共有の一つの実践であり、本書は歴史的な意味のあるものです。

南海   1989年の六月四日に向かう天安門広場もまた、このような祝祭空間でした。これはあのように血の弾圧でつぶされたのですが、その記憶は消えません。いま中国社会の中堅となっている人びとのなかにしっかり残っています。

事件を題材にした小説「時が滲む朝」の作者で、中国人初の芥川賞作家となった場逸も20年前、留学中の日本から天安門広場に行った。「何でも小声で話さなければならないような社会の抑圧が一気にとれた爽快感を、生まれて初めて感じました」という(「朝日新聞」2009年六月七日付より)。

六・四運動もまた血の弾圧を受け、そこにいたものはそれぞれに国家の監視の下に困難な人生を余儀なくされる。しかし、あの解放の記憶は永遠である。必ずまた甦る。そう言うことです。

北原   人民は祝祭空間の経験を記憶として保ちつつ、新しい言葉と新しい関係を生み出してゆくのです。多くの犠牲が必要なのかも知れません。それが人間の歴史かも知れません。われわれもまた、祝祭空間の記憶のもとに言葉を拓き耕してきたのです。この対話もまたそのような営みなのです。


AozoraGakuen
2017-02-10